Quantum Universe

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YQIP2014最終日。

昨日はYQIP2014の最終日。

最初の講演はシュッツホルトさんで、スピンネットワーク系における量子エンタングルメントのモノガミーを平均場近似の誤差評価に使う強力な定理のお話。

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また次の講演は遊佐さんの、量子ホール系を用いた量子エネルギーテレポーテーションの実験提案の話。

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最終日なのに疲れも知らないが如く、多数の参加者の皆さんがこの日も参加されて質問やコメントを沢山出して下さり、大変盛り上がった最後のセッションとなった。

今回本当に多くの参加者の方々に集まって頂き、期間を通じて活発な議論が講演会場、隣接する休憩部屋、そしてポスター発表の部屋等のあちこちで行われていて、新しい研究が生み出されていく予感を強く感じた。

これも講演者の方々はじめ、研究会を支えて下さった多くの皆さんのおかげだと深く感謝している。

来年度はまだ開催予定時期も未定で、かつ予算申請もYITPに採択されるかどうかも分からない状況だが、楽しく生産的な研究会の場を提供できればと願っている。

 

 

YQIP2014、3日目。

3日目の昨日は超弦理論場の理論における量子情報のセッションと、全体のポスターセッション。

招待講演者のヘドリックさんは場の理論(特にCFT)におけるエンタングルメントエントロピー(Entanglement Entropy)の計算の話。

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多分野の研究者のためのイントロを沢山用意して下さったのだが、質問も沢山出てご本人のお仕事の部分を詳しく話す時間が無くなってしまった。

だがそのおかげで場の理論のEEに詳しくない研究者の方々の間で多くの知識を共有できることにもなった。感謝。

午後のポスターセッションは初日にあった1人5分間のプレポスター口頭発表セッションの効果もあってか、他研究会ではなかなか見られないほど各場所で白熱した議論が起きていたようだ。

ここから新しい研究が生まれてくることを期待したい。

今日はシュッツホルトさんのスピン格子系におけるエンタングルメント・モノガミー(量子もつれの一夫一妻制)のお話と、遊佐さんの量子エネルギーテレポーテーションの実験提案のお話。

いよいよ最終日だ。

 

 

YQIP2014、2日目。

YQIP2014の2日目。午前のセッションの最初の招待講演はレズニックさん。f:id:MHotta:20140806035247j:plain冷却原子にQCDなどの非可換ゲージ理論の計算をさせる量子シミュレータのお話。

非可換ゲージ理論を解析的に解くのはとても難しい大問題。

現在では大型計算機(もちろん量子計算機ではなく、並列型の古典計算機)をフルに活用して研究が進められているが、それでもモンテカルロシミュレーションの負符号問題などのため、本当に欲しい精度の計算を行うことは大変な現状。

これを冷やされた原子の集団に短い時間量子的に動いてもらって、計算結果を彼らから教えてもらうことを目的にしているのが今回の内容。

この場合負符号問題は回避できるので、現在よりはるかに速い計算ができる可能性がある。

彼のトークは分野外の研究者にも分かりやすく構成されており、研究のモチベーションから丁寧に話してもらえた。

現時点でのすぐの実装はもちろん難しいけども、今後10年スケールで真剣に実現を試みる価値のある、とても将来性を感じさせる興味深い話だ。

 

午前2つ目の招待講演は、学習院大の田崎さん。

量子力学の第一原理から統計力学を基礎付けしようとする重要なテーマで、アンサンブルを最初から考えるような真似はせずに、典型的な熱平衡純粋状態(thermal pure state)を扱う話。

f:id:MHotta:20140806035334j:plain綿密に練られた構成と繰り返された練習を背景にして聴衆を見事に引き込み、一番多くの関心を呼んだ。

できたてホカホカの定理も紹介されており、とても得した気分。

ブラックホールの情報喪失問題に関してもこのような熱的純粋状態によるアプローチが今後きちんと考えられるべきだと、自分は今思っている。

(田崎さんは招待講演者だったのに大変気を遣って頂いて、世話人メンバーのように研究会場を動き回ってサポートをして下さり、有難くかつ恐縮してしまった。)

 

午後のセッションでは多くの異なるテーマを講演者の方々にお話し頂けた。

聴衆の方々にも新鮮な印象を感じてもらえたようだ。

異分野の話を聞くことで刺激を受けて新しい発想が生まれてくれば、研究会の運営側としても大変うれしい。

セッション終了後のバンケットも大盛り上がりで、打ち解けた雰囲気の中皆さんは議論とお酒を楽しまれていたようだった。

3日目は超弦理論的量子情報のセッションとポスター発表。

楽しみだ。

YQIP2014始まる。

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いよいよYQIP2014が始まった。

http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~yitpqip2014.ws/

国内外から多数の参加者の皆さんが集まって下さり、感謝。

初日はウンルーさんのトーク(上の写真)からスタート。

今回は参加されている方のバックボーンが様々なため(量子情報、統計力学、物性、一般相対論、超弦)、本題の前に30分の一般相対論イントロ・ミニマムを彼にお願いしてしまった。

事象の地平面を滝に落ちる川の水の中にいるサーモン(多分カナダの)の例で分かりやすく説明するところから始まり、直径1m程度の風船を使って時空の曲がりをデモンストレーション。

そしてペンローズダイアグラムの解説まできっちりしてくれた。

その後はブラックホールファイアーウォールに関連した話。

 

午後は東大の沙川さんのトークで、量子的マクスウェルの悪魔の話。

個人的には頭の中で再度整理できるいい機会となった。

(Sagawa-Uedaの結果はもっと他分野に浸透してもいいと思っている。)

 

その後、水曜日にあるポスターセッションの発表者による5分間ダイジェスト口頭発表のプレポスターセッション。

この企画の肝は、質問やコメントをその場で受け付けないこと。

会議初日に連続して面白そうな話を聴きながらも、どうしても聞いてみたい質問をその場では我慢してもらうことで、ある意味じらさせて頂き、2日目以降の休憩時間にその発表者を捕まえてどうしても議論を始めたくなることに狙いを置いている。

これで面白い研究の切っ掛けが出てくるとうれしい。

(自分も、何人も議論したい方々を見つけてしまった。ただ世話人の仕事があるため、満足に時間が取れない可能性が大きい。)

また発表者の顔と名前を初日に共有できるのは、今回のような異分野間交流で役立つとも期待。

 

2日目の午前のセッションは、レズニックさんの冷却原子を用いた非可換ゲージ理論の量子シミュレーターの話から始まり、田崎さんの純粋熱的状態による統計力学の基礎付けの話が続く。

午後も面白いトークが連続して、その後バンケットの予定。

ブラックホール蒸発過程における量子エンタングルメントの時間発展

ソウルで行なわれた相対論的量子情報の会議RQIN2014(http://physics.korea.ac.kr/RQIN2014/ )で、ドン・ペイジさんとブラックホール防火壁(ファイアーウォール、firewall)仮説について長く議論するチャンスに恵まれた。

彼は防火壁仮説の基礎になっているペイジ曲線の提唱者であり、ポルチンスキーさんらによって提唱された防火壁仮説はペイジ曲線の観点からも深刻なままという立場をとっていた。

彼はとても気さくな人であり、かつ物理の議論を好み、そして楽しむ方でもあったので、数日に渡る議論は自分にとって大変刺激的なものになった。

ペイジ曲線の話はペイジ時間とともに下記記事

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/15/112849

でも少し触れている。

ブラックホールには情報喪失問題というパラドクスがあり、現在多くの物理学者を悩ませている。

(これについては

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/13/115916

も参照。)

ブラックホールを重力崩壊で作る物質の初期状態を量子的な純粋状態|Ψ〉としよう。

この初期状態では物質の各空間領域でのエネルギー密度はまだ十分に薄く、時空はほとんど平坦なものとして良い。

物質のダイナミクスと重力の効果により時間とともにある空間領域に物質が集中するようになってブラックホールが形成されるとしよう。

ブラックホールは古典的には時空に空いた穴のようなもので、一旦その中に落ちたものは何も外に出てこれない。

しかし量子力学の効果を取り入れると、状況は大きく変わる。

所謂ホーキング輻射という光子やニュートリノなどの熱輻射がブラックホールから発せられるのだ。

4次元時空の中の球対称なブラックホールの場合、その輻射の温度Tはブラックホールの質量Mに反比例する。

ホーキング輻射が無限遠方に向けてエネルギーを持ち出すため、ブラックホールは自分のエネルギーE、即ち質量M(=E/c²)を時間とともに失っていく。

しかもTがMに反比例するため質量の軽くなったブラックホールは非常に高温の輻射を出して爆発すると想像される。

問題はその爆発後の状態だ。

もしブラックホールが完全に蒸発しきって、かつ空間には物質の熱的輻射しか残っていなければ、それは統計力学に出てくるギブス状態のように、純粋状態ではなく混合状態で記述するのが素朴には良さそうに見える。

しかしもしそうだとすると、量子力学のユニタリー性が壊れていることになる。

始状態は重力崩壊を起こす物質の純粋状態|Ψ〉だったのに、終状態は物質の混合状態になっているためである。

これは|Ψ〉が持っていた量子情報の一部が失われたことを意味する。

つまり「情報喪失」問題である。

こんなことが本当に起きるかどうかが、多くの物理学者によって長い間検討されてきた。

超弦理論で発展してきたAdS/CFT対応では、ブラックホール蒸発過程でさえも量子力学のユニタリー性は成り立つことが示唆されている。

そうだとすると、蒸発後の終状態において、どこに、どのような形で、量子情報が保管されているのかが問題となる。

単に情報喪失が実際に起きるという古典的な仮説から、実はホーキング輻射のそれぞれの粒子は細いワームホールブラックホールと繋がっていて、量子情報的にはエンタングルメント状態になって情報喪失を防ぐ等の突飛な仮説まで、いろいろな物理学者がいろいろなシナリオを提案して検討している状況になっている。

情報喪失問題の研究において、ペイジさんの提出したペイジ曲線の議論は大きな一石を投じた。

彼の議論は以下のようなものである。

ブラックホールとホーキング輻射の合成系の状態は、量子重力の効果によって有限次元のヒルベルト空間で記述できるとし、そしてどの時刻においても純粋状態であるとする。

そしてブラックホールを記述する部分空間の次元は時間とともに減少し、ホーキング輻射を記述する部分空間の次元はそれを補うように増加すると考えるのだ。

2つのヒルベルト空間の直積で全ヒルベルト空間を表すとき、時間とともにブラックホールを記述していた自由度は輻射の自由度へと所属が移るとみなすわけだ。

彼はブラックホールができた時刻を初期時刻にとった。

その時には純粋状態にあるブラックホールしかなく、ホーキング輻射は存在していない。

しかし蒸発の最後の時刻にはブラックホールは完全に無くなり、輻射しか存在しないとする。

なお全体系のヒルベルト空間の次元は固定されている。

ブラックホール+ホーキング輻射の全体系は複雑な時間発展をする純粋状態となるはずだが、それを解くことは量子重力理論が未完成である現在不可能である。

そこでペイジさんは次のような立場をとる。

ある時刻にどの純粋状態をとるかは分からないが、多分それはヒルベルト空間内の"典型的(typicalな)"状態の1つにはなっているはずだと。

それで彼は合成系の各純粋状態に対して量子もつれ指標の1つであるエンタングルメントエントロピー(Entanglement Entropy, EEと以下略す。)を計算し、それを全ヒルベルト空間で平均化してみる。

するとその典型的状態においてはほとんど最大のエンタングルメントがブラックホールと輻射の間に生じているという結論に達した。

これに基づいてペイジさんは各時刻の全体系の純粋状態でも、ブラックホールとホーキング輻射の間にほぼ最大のエンタングルメントがあるという仮説を立てた。

そうだとするとEEは、その時刻でブラックホールと輻射の2つの中でより小さいなヒルベルト空間の部分空間次元Dの対数lnDで与えられる。

最初はブラックホールしかなく輻射の次元は真空状態に対応する1次元分しかなかったので、ペイジさんはD=1としてEEは零から出発するとした。

時間とともに輻射の状態空間は広がり、そのDも大きくなるため、EEはしばらく単調増加する。

そしてブラックホールと輻射の次元が一致するときにEEは最大値をとる。

その時刻は現在ペイジ時間と呼ばれている。

ペイジ時間以降、今度はブラックホールの次元のほうが輻射の次元より小さくなるため、Dはブラックホールの次元をとることになる。

時間とともにブラックホールは小さくなるためEEも単調減少をして、ブラックホールが完全蒸発した時点でEEは零になると考えるのだ。

このブラックホールとホーキング輻射の間のEEを縦軸にとり、また輻射のヒルベルト空間の次元の対数を時間軸として横軸に書いたグラフをペイジ曲線と呼ぶ。

 

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ペイジ曲線を信じると、ブラックホールが完全蒸発した後には初期に放出されたホーキング輻射とペイジ時間以降に放出されたホーキング輻射の間にもほぼ最大のエンタングルメントが生じることになる。

これが本当だと仮定して、ポルチンスキーさん達はブラックホール防火壁仮説を立てた。そして地平面で時空は終わり、ブラックホール内部空間は存在しないとしたわけだ。

つまりペイジ曲線の描像は防火壁仮説の肝として使われている。

 

これらを踏まえて、ソウルの会議でペイジさんと議論したときに自分は以下のいくつかのポイントを指摘してみた。

まず典型的量子状態における量子エンタングルメントとエネルギーに対してである。

ペイジさんより以前に既にセス・ロイドさんの博士論文で指摘されていた、2つの合成系の典型的純粋状態でエンタングルメントがほぼ最大になるという事実(http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/04/18/190400)は、あるハミルトニアンを仮定している。

ロイドさんは量子統計力学の基礎に興味があったため、彼のモデルは弱くしか相互作用をしない多体系を簡単化したものになっている。

相互作用を零にしたときにはヒルベルト空間の全ての状態は同じエネルギーをとるという、膨大なエネルギー縮退度を仮定している。そこに少しだけ相互作用を入れて全体系を平衡状態に緩和していく話だ。

ペイジさんの計算も実は同じことを知らぬ間に仮定している。

しかし実際の多体量子系ではこのようなヒルベルト空間全体に渡るエネルギー縮退は満たされず、状態密度関数はエネルギーを増加させるとともに普通は指数関数的に増加する。

ブラックホールとホーキング輻射の場合も、そのはずだ。

しかしそうだとすると、ペイジさんの典型的状態は理論の紫外発散のカットオフΛに近い高エネルギーを持ち、さらにエネルギー密度もほぼ最大となることが分かる。

つまり彼の典型的状態は、各空間領域で非常にランダムに力学的自由度が揺らいでいる高エネルギー状態である。

このような場合には、ブラックホールと輻射の間のエンタングルメントはほぼ最大となり、EEは2つのうち小さいほうの部分系の体積Vに比例する「体積則」に従うことになる。

つまりペイジ曲線は、彼が定義した典型的状態においてブラックホールと輻射の間のエンタングルメントが「体積則」に従っているという性質に基づいて書かれているのだ。

しかし通常の低エネルギーの場の量子論の描像が使える量子状態では、EEは「体積則」ではなく、2つの部分系の境界の面積にEEが比例する「面積則」にほぼ従うことが知られている。

情報喪失問題で考えられる始状態も、このような物質場の低エネルギー密度状態である。

ブラックホールの形成蒸発過程でもエネルギー保存則は成り立つため、蒸発後の輻射の状態でも初期と同じ程度の低エネルギー密度分布に戻るはずである。

つまりホーキング輻射のエネルギー密度も薄いため、終状態はやはり低エネルギーの量子場の理論で記述できる、EEの「面積則」に従う状態のはずである。

このことから、自分はペイジさんに彼の典型的状態はブラックホール蒸発過程の終状態ではありえないという主張をして議論を開始してみた。

いろいろな物理系の例を挙げながら議論をしているうちに2日目には彼も彼の典型的状態がカットオフスケールの高エネルギーそして高エネルギー密度を持つ状態であること、そして低エネルギー状態ではエンタングルメントは最大にはならないことを受け入れてくれた。

最大エンタングルメントを持つ状態を時間とともに辿るペイジ曲線は、理論がとれる最大エネルギー値に近い典型的状態においては実現されるかもしれないが、実際の蒸発過程で達成するかどうかは不明ということになった。

従って、ポルチンスキーさん達が地平面付近でのファイアーウォールの出現に関して仮定していた根拠の一部もなくなった。

しかしペイジさんは真空状態やそれに近い低エネルギーの量子状態でもなく、またカットオフスケールに近い高エネルギー状態でもない中間スケールのエネルギー領域で典型的状態を考えれば、ある程度ペイジ曲線は再現できる可能性は捨てられないと言っていた。

ただしペイジさん自身でもまだこの中間エネルギー領域をチェックしていないので、根拠はないとも同時に言っていたところで議論の時間が無くなり、また機会を改めてということとなった。

 

なおペイジさんだけでなく、超弦理論の分野では熱的平衡が出てくると必ずギブス状態のようなアンサンブル平均を持ち出す。

しかし熱的純粋状態を用いた定式化では、そのようなアンサンブルを持ち出さなくても熱的な物理量を再現できる。

一般に量子情報は非常に高エネルギーな自由度と真空の零点振動のような低エネルギー自由度との間ですらも共有できる非常にデリケートな概念であるため、正確な設定を考えずにギブス状態を用いてエンタングルメント指標を計算すると、正しい答えと全然違う値になることとがしばしば起きる。

ペイジさんと話していて分かったのは、ペイジ曲線の形は熱力学エントロピーからの直観から主に来ており、量子場における正しいEEの定義式からスタートをさせていないということ。

例えば、ブラックホールしかなく輻射が存在しない蒸発の初期状態でも、輻射の量子場の真空状態の零点振動が既にブラックホールの一部ともつれているとも考えられる。

実際動的鏡モデル(moving mirror model)ではそのような結果を得ることもできる[1]。

そうだとするとペイジ曲線は初期値が零から出発するのもおかしく、もっと大きな値からスタートすべきだ。

また低エネルギーの場の理論で記述できる励起状態にある物質を重力崩壊させるときには、ブラックホール蒸発過程でもEEは「体積則」でなく、むしろ「面積則」を満たしながらペイジ曲線は書かれるべきで、それは最大エンタングルメントの値を辿る現在のペイジ曲線よりずっと小さいなEE領域を通過すべきだと思う。

ペイジさんとはまた別な機会にゆっくりと議論を深めていきたい。 

なおこのあたりのペイジ曲線に対する批判は、[1]の論文にも書いた。

[1] M.Hotta, J. Matsumoto, and K. Funo, Phys. Rev. D89,124023, (2014). 

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量子テレポーテーションは、本当はテレポーテーションではないのか。

量子テレポーテーション

最近よく聞くバズワードかと思う。

物理学の世界においてこのテレポーテーションは実験もなされ、応用が試みられる段階だ。

しかし一般の方々の中には、本当に人類が瞬間移動の術を手に入れたと勘違いされている人もいらっしゃるようだ。

それに対して物理の専門家は、量子テレポーテーションでSF的な瞬間移動装置を作るのはできないことも説明してきた。

この事実を強調することはとても意義があることだと思う。

このプロトコルではある古典的な情報を相手に伝える必要があるため、情報通信の最大速度である光速を超えてテレポーテーションを起こすことはできないのだ。

そのため物理学でいう「因果律」も破ることはない。

ただ認識論的な量子論解釈である現代的なコペンハーゲン解釈では、テレポーテーションの送り手側にとっては確かに瞬間移動のように見える現象ではある。

ただし受け手にとっては瞬間移動ではなく、因果律に則った時間を必要とする量子情報の伝達となる。

今回はこの件を紹介してみよう。

まずSFのテレポーテーションが仮に実現したとして、何をすることになっているか振り返ってみる。

それは人間の体を含む物体、即ちモノを遠隔地に瞬間的に移動させる方法だ。

ではモノとは何だろう。

現代の物理学で検証されている最も基礎的なモノは「量子場」である。

場というのは宇宙全体に敷き詰められた絨毯のようなものである。

例として古典的には電磁場というものが分かりやすいだろう。

そのような古典場に量子論の効果を取りいれたのが量子場である。

そして光子も電子もクォークも、また最近見つかったヒッグス粒子も、この量子場に起きるさざ波としての「励起」に過ぎないのだ。

我々の体や世の中の様々な物体はこれらの素粒子からできている。

ところが素粒子1つ1つには個性というものがない。

もともと量子場という名の絨毯の皺のようなものが、勢いを持ってあちこちに伝搬していくのが素粒子だ。

2個の同種粒子があるとして、その2つをこっそり交換しても物理的に区別することはできない。

素粒子はどれも統一規格の素材に過ぎないのだ。

では、我々や様々な物体の「個性」はどこからくるのか。

それは集まった素粒子の量子的運動を記述する量子状態の差に起因している。

つまりモノのアイデンティティとは、量子状態に収納されている量子情報そのものなのである。

物理学における量子テレポーテーション[1]では、素粒子の集まりである物体そのものは転送できないが、そのモノの個性を完全に記述する量子状態、そして量子情報を転送している。

図1にその概念図を与えた。

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空間的に離れた領域にアリスとボブがいる。アリスは量子系を持っており、その量子状態|ψ〉がその量子系のモノとしての個性を記述している。

アリスは他の素粒子も持っており、それらはボブが持っている素粒子との間に量子エンタングルメントを共有しているとする。

そのエンタングルメントは最大であるとしよう。

するとボブの素粒子は局所的には最大エントロピー状態となり、全く有用な情報が含まれていないことが分かる。

しかし図1のようにアリスがある測定を|ψ〉の状態の量子系と素粒子達にしてやると、面白いことが起こせる。

得た測定結果をボブに電話やメールなどの古典通信で伝えてやり、ボブがその結果に応じたある操作を自分の素粒子達に施すと、アリスの持っていた量子状態|ψ〉がそこに現れるのだ。

その代わり、測定の反作用によってアリスの量子系には|ψ〉の情報が全く無くなってしまう。

つまりモノとしての個性である量子状態|ψ〉がアリスからボブに転送されたことになる。

ここで重要なのは、|ψ〉はアリスにとってもボブにとっても未知で構わないという点である。

普通の方法では|ψ〉が未知な場合、まずアリスは|ψ〉だけを測り、|ψ〉に依存したその情報をボブに送って、その情報に基づいてボブは|ψ〉を再度作り直す必要がある。

しかし|ψ〉が1個しかない場合には、この方法では|ψ〉をどんな測定でも一意に確定させることはできない。

そのためボブは粗悪なコピーしか作ることができない。

一方量子テレポーテーションでは、完全な|ψ〉の転送ができてしまうのだ。

|ψ〉をモノの個性そのものとすれば、ボブが手に入れるモノは正しくアリスが持っていたモノに相違ない。

そしてアリスの手元にはそのモノの記憶の片りんも残っていないのだ。

未知の量子状態|ψ〉を完全にコピーできる方法があれば、|ψ〉のコピーを沢山作ってそれらを測定して|ψ〉を完全決定することも可能だ。

だがそれは量子力学の量子複製禁止定理[2]により不可能であることも知られている。

正確なコピーを作れない量子状態|ψ〉は、物凄く強固なアイデンティティを持っている。

この意味で量子テレポーテーションは、素粒子を転送することはできないが、本質的に「モノ」の転送であるとは言えるのだ。

 現代的コペンハーゲン解釈に基づけば、「アリスにとって」この|ψ〉はまさに瞬間的にボブに転送されていると表現することもできるのが面白いところだ。

 以下では話を具体的にするために電子スピンの状態のテレポーテーションを考えてみよう。

図2、図3、図4にそのプロトコルを書いた。

先の話の中のアリスが持っている素粒子は、電子スピンに置き換えられる。

そしてボブの電子スピンと共有する最大エンタングルメントの状態は所謂1つのベル状態になっている。

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自分が持っている2つのスピンが4種類ある最大量子エンタングルメント状態(ベル状態)のうちどの1つにあるのかを確かめる測定(ベル測定)をアリスが行う。

すると図3のようにその結果は等確率に現れる。

この測定直後に「アリスにとって」ボブのスピンに波動関数の収縮が起きて、そのスピンは|ψ〉に依存するようになる。

つまりなんらかの|ψ〉の情報が「瞬間的」にボブに届いたようにアリスは思うのだ。

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これが"テレポーテーション"のように見える理由である。

ただしボブのスピンの状態は正確には|ψ〉ではなく、それに測定結果αに依存したあるユニタリー操作が施されているものになっている。

それを改善するために、アリスはボブに測定結果を連絡する。

するとボブはアリスの情報を得た途端、自分のスピン系の知識が増えてボブにとってのスピンの量子状態は書きかえられる。

つまりボブにとってもスピン系の波動関数の収縮が起きるのだ。

そして量子状態でずれている部分を逆操作で修正することでどの測定結果の場合でも、図4のように正しい|ψ〉を再現することができるのだ。

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また図5のようにアリスからボブに結果を伝える際には光の速さを超えて情報を送ることはできないため、因果律は破れていないのである。

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さてここで素朴な疑問が起こるかもしれない。

量子的にアリスのスピンともつれたボブのスピンは、ボブによって厳重に保管することが可能だ。

例えば図6のように外部からの相互作用を遮断するような箱の中にスピンを保管することを想定してみよう。

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アリスからの情報は携帯電話の電波等に載せられて送られてくるが、ボブのスピンとは相互作用をしない。

しかしボブは、スピンの状態が|ψ〉に依存した純粋状態であることを「知る」。

スピンは相互作用をしなかったのだから、ボブがアリスから情報を聞く前から、そしてアリスが測定をした時刻、もしくはそれ以前にも、実はボブのスピンは|ψ〉に依存した純粋状態だったのではないかと考えたくなる。

答えは「そう考えても良いし、そう考えなくても良い。」というものだ。

もともとはベル状態にあったスピン対の片割れであったので、もちろんボブのスピンは局所的には|ψ〉に依存しない最大エントロピー状態にあると考えてもいい。

ボブがどちらが正しいのかを確かめるとしたら、アリスが情報をよこす前にボブは自分のスピンを調べる必要がある。

しかしアリスの測定結果を知らないため測定結果は、各確率で平均されたものになってしまう。

今の場合測定後に|ψ〉からのずれを起こすユニタリー操作は単位行列と3つのパウリ行列成分の合計4つである。

すると図7下式の項等式が任意の|ψ〉に対して成り立つため、どんな測定をボブがスピンに行っても、|ψ〉に依存した状態であったかなかったかについて確認できないのだ。

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このためどちらの考え方でも整合しているのである。

量子力学の認識論的解釈において別に問題にならない。

[1]で基本的な概念が提案された量子テレポーテーションの方法では、|ψ〉が励起エネルギーを必要とする場合に、そのエネルギーはボブが用意しないと機能しない。

エネルギーが足らないボブの領域に少しのエネルギーしか持たない情報媒体を送ってテレポーテーションを実現させたい場合はどうしたらいいのだろう。

じつは別なテレポーテーションのプロトコルでボブは量子場の真空からエネルギーを借り出すことが可能なのだ。

原理的にはボブはそのエネルギーを使って素粒子を励起して、量子状態を転送することもできるようになる。

この方法は量子エネルギーテレポーテーション(quantum energy teleportation, QET)と呼ばれている[3][4]。

ただしアリスが量子場にエネルギーを注入しながらその真空揺らぎを測定して、エンタングルメントを通じてボブの周辺の場の零点振動の情報を得る必要がある。

またアリスの測定エネルギーはボブの借り出せるエネルギーに比べて大きくなる。

QETは現実のマクロな物体を励起するだけのエネルギーを転送するのは困難だが、ナノスケールの量子系においては実験が可能であると考えられている。

8月に京大基礎物理学研究所で行われるYQIP2014でも、東北大の遊佐さんが量子ホール系を用いたQET実験に関する話をされる予定である。

[1] C.H. Bennett, G. Brassard, C. Crépeau, R. Jozsa, A. Peres, and W.K. Wootters, Phys. Rev. Lett. 70, 1895, (1993).

[2] W.K. Wootters and W.H. Zurek, Nature 299, 802, (1982).

[3] http://www.tuhep.phys.tohoku.ac.jp/~hotta/extended-version-qet-review.pdf

[4] 堀田昌寛, 遊佐剛, 日本物理学会誌 69(9), 613, 2014 

ci.nii.ac.jp

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「量子的」と呼ばれつつ、古典的な本質をもつ現象

 

「量子的」と思われているいくつかの現象の本質が「古典的」であることは、案外知られていないようだ。

弱測定における増幅効果もそうだし、量子消しゴム(量子消去)をレーザーポインター等の日常の道具を使って確かめようとする実験も、実はそのような例になっている。

本質的に量子効果でしか起き得ない「量子的な場合」と、古典力学でむしろ馴染みのある現象を量子的環境にも適用している「量子的な場合」の区別は重要かもしれない。

今回はこのことについて述べてみよう。

まずは弱測定の増幅効果(amplification effect)の話からいこう。

(弱値、弱測定についての基礎的な話は

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/22/123604

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/11/152110

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/20/233839

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/24/043644

を参考にして欲しい。)

図1のように、非常に小さな値とだけ分かっている未知のパラメータθに依存した|ψ(θ)〉という量子状態にある物理系を弱測定して、θを推定したいとする。

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物理量Aの弱値は図2の式で一般に定義される複素数量であるが、この実部(real part)は図1の実験で測ることができる。

 

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図1のように、Aを"アバウト"に測る測定機をこの量子系と極めて弱く相互作用させる。

"アバウト"という意味は、この測定機のメーターの針の位置が激しく揺らいでおり、針が指す中心の平均値を読みとるには何回も実験を繰り返さないといけないという意味である。

弱くはあるが注目系と測定機が相互作用をするために、θの情報は少しだけ測定機に書きこまれる。

また相互作用が弱いために、注目系の量子状態も少ししか測定によって変形しない。

それを図1では|ψ′(θ)〉と書いている。

弱測定では、この後にBという別な物理量の理想測定を量子系に対して行う。

Bの各固有値が観測される確率は、いつも通りに|ψ′(θ)〉と各固有ベクトルとの内積の絶対値の2乗で与えられる。

そして得られたBの固有値に対して決まる、図2の式で定義された弱値の実部が、図1のAのアバウトな測定機の針の平均値から読みとれるのだ。

これが弱測定のプロセスである。

得られる各弱値の実部はθに依存しているので、これからθを推定することもできる。

ここで図2の弱値の定義を見て欲しい。

分母に2つの状態の内積がある。

このため、もしBのある固有状態が|ψ′(θ)〉(そして|ψ(θ)〉)とほとんど直交していたら、その弱値の大きさは発散するのである。

従ってその実部も発散するため、メーターの針の中心値も大きく動き、弱値の値が読みやすくなると言われている。

これが弱測定での「増幅効果」である。

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したがってθの推定の精度も、測定機の普通の使い方に比べて、ある程度上げることが可能だ。

これについては

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/22/123604

と文献[1]を参考にして欲しい。

 

さて、この弱測定をパラメータθの推定とみなしたとき、得られた増幅効果は本質的に「量子的」なのだろうか?

実は、これは古典確率論でも起きるありふれた現象である。

図4のように、「まれにしか起きない現象が起きたとき、得られる驚き(情報量)は大きくなる。」ということに過ぎない。

f:id:MHotta:20140517065202j:plainこれはベイズ統計等のいろいろな形で論じることができるが、ここでは統計学のフィッシャー情報量での考え方を紹介しておこう。

ある確率分布が未知の微小パラメータθに依存している一般の場合を考える。

測定をしてn番目の結果が観測される場合のθの推定値をΘnとしよう。

すると図5のように、平均化されたθの推定値、その確率分布での平均2乗誤差、そして実験の系統誤差がないとした時のθの推定誤差が定義される。

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揺らぎ幅ΔΘに比べて、中心値Θのθの感度が高ければ(少しθを変えるだけでΘが大きく変化すれば)、推定誤差Δθは小さくなる。

ここで統計学でよく知られている結果である、図6の「クラメール・ラオ不等式」というものがある。

f:id:MHotta:20140517065218j:plainこれは推定誤差Δθには原理的下限があり、それはフィッシャー情報量の平方根の逆数になっていることを意味している。

(註:クラメール・ラオ不等式の証明は割と簡単で、三角不等式を用いるとすぐにできる。)

つまり確率分布のθ依存性で定まる、このフィッシャー情報量が大きいほど、1回の測定で得られるθの情報も大きいということになる。

また独立に同じ試料をN個用意して測定をした場合には、クラメール・ラオ不等式は図7のようになる。

f:id:MHotta:20140517065225j:plainつまりNが大きくなると、推定誤差はNの平方根に反比例して減少をする。

さて未知の微小で(正の)パラメータθに対して、図8のような確率分布を考えてみよう。

これは2つある可能性のうち2番目の結果が生じる確率がとても小さい場合の例である。

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この場合のフィッシャー情報量は、図8の下式のようにとても大きくなる。

これはめったに起きない2番目の事象が1回起きた場合、「θが零ではない。」ことを強く示唆するためである。

一般にまれにしか起きない現象を観測しようとする時、極わずかなデータ数でもθの推定値に大きな影響を与えてしまうのだ。

弱測定でも、物理量B(ポストセレクションの基底)をうまく選んで「まれにしか生じない実験結果」を意図的に用意して、ほとんど起き得ない結果が得られたときの「驚きの大きさ」を使った増幅効果を利用しているに過ぎない。

 

なおここで重要なのは、この「まれな事象に対する驚きの効果」は、実際の実験や観測ではそのまま鵜呑みにできないことである。

取り除くことが難しい環境ノイズ等を原因とする「系統誤差」が常に存在するからだ。

まれにしか起きない結果がたった1回得られても、それが本当に意味のあるデータであるのか、それとも単にノイズであるのかは判断できない。

弱測定でも同様で、増幅効果が系統誤差を超えて際限なくパラメータ推定の精度を上げ続けないことは知られている [1]。

膨大な無駄を伴うデータ数を時間をかけて溜めることにより、通常の使用法では系統誤差のために手の届かない、高い精度のパラメータ推定を達成しているに過ぎない。

だから、量子光学のように安く、そして短時間に沢山のデータをとれる分野では、弱測定の増幅効果のメリットは享受しやすい。

一方高エネルギー物理学のような、1つ1つのデータを得るのに長い時間とお金がかかる場合には、簡単に弱測定のメリットが発揮されることはない。

 

次に「量子的」と呼ばれながらも古典論だけで十分に説明がついてしまう例として、量子消しゴム(量子消去)のレーザーポインターの実験を考えてみよう。

これはレーザーポインターと、針金、3枚の偏光板があればできてしまう。

身の周りのものを使って実験できる手ごろさから、人気のある実験である。

偏光板は面内の一方向に沿って電流が通る構造を持っており、電波の偏光実験で使われるワイヤー格子の縮小版だ。

偏光板中で電流が流れられる向きに対して垂直に電場が振動する電磁波成分は、偏光板を通過できる。(図9、図10)

一方、平行な成分は偏光板を通過できない。

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従って、図11のように電流が流れられる方向が直交するように2枚の偏光板を並べると、2枚目で波は止まってしまう。

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"量子"消しゴム実験をするには、レーザーポインターと1本の針金を図12のように設定する。

f:id:MHotta:20140517065320j:plain針金の左右に分かれたビーム中の光子が、離れたスクリーン上に干渉縞を作るのが分かるはずだ。

一方、図13のように針金の左右に向きの異なる偏光板を入れると、干渉縞は消滅する。

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"量子"消しゴムの立場からは、光子の偏光自由度に左右どちらの経路を通ったかの情報が書き込まれたために、各光子の干渉効果が生じなくなったためと説明される。

 

3枚目の偏光板を図14のようにななめの角度でビームライン上に挿入すると、図11で止まってしまったビームは再び透過するようになる。

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これは光子の偏光の記憶が、挿入された偏光板によって消されたからと、説明される場合も多い。

また図13の状況において3枚目の偏光板を図15のようにいれると、再び干渉縞が現れる。

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これは1つ1つの光子が偏光の記憶及び左右の経路の記憶を失って、干渉する能力を取り戻したと説明がしばしばなされている。

しかし、これらの現象は「古典電磁気学だけ」でも再現される内容なのである。

位相をそろえながらもレーザー強度を高めてマクロなコヒーレント状態にすれば、それは古典的電磁場として振る舞うからだ。

ビームの強度がよほど小さくなって、1つの波束の中にほぼ1つ程度の光子が入っているような場合だけが、純正な「量子消しゴム」実験と見なせるのだ。

特に図14の現象に関しては、強度の弱い特別なレーザービームを使わなくても、太陽光や蛍光灯の光でも体験できる。

 つまりこれらは数理モデルとして、古典電磁気学だけで基本的に十分理解可能な現象なのだ。

レーザーポインターを用いたあの実験は、実のところ量子消しゴムの「量子実験」を疑似体験できる「古典シミュレーター」とみなしたほうが良いと、ある実験家も言っていた。

 

また最近では量子消しゴムの間違った理解により、光子のスピンである偏光の自由度ではなく空間的な軌道角運動量を用いて光子の経路を記憶させると、ナイーブには干渉が起きないと考える人もいるかもしれない。

だが、なにも変な議論をせずとも、図16のように軌道角運動量の固有状態である球面調和関数の重ね合わせで干渉縞ができることは、よく知られている事実である。

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偏光の場合と違って、どんなに軌道角運動量を用いて経路情報を記憶させようとしても、干渉縞を消すことはできない。

普通の量子消しゴムの話は、スピン等の、空間的自由度とは独立な自由度のヒルベルト空間に安定して経路の記憶を収納できるから、非自明な話になるのである。

軌道角運動量が粒子の経路と独立なメモリー自由度になれないことはそもそも当たり前であり、それを量子消しゴムの話にこじつけようとする必要はない。

普通に"オッカムの剃刀"を尊重すれば、消すものがない消しゴムは「消しゴム」と呼んではいけないのである。

また光子を電子に置き換えたダブルスリット実験でも、軌道角運動量の異なる波動関数の重ね合わせは昔から干渉することは分かっている。

軌道角運動量を定める位置の原点をダブルスリットの間にとれば分かるように、左右の窓から出てくる波は、当然符号の異なる角運動量の重ね合わせ状態である。

しかしスクリーンには干渉縞が普通にできる。

また普通の電子を用いた散乱実験等でも当たり前に干渉効果は出てくる。

なお「きちんとした」量子消しゴムの話を含む記事としては、枝松さんの数理科学の記事[2]があるので、ご一読をお勧めする。 

[1] J. Lee and I. Tsutsui, http://arxiv.org/abs/1305.2721.

[2] 枝松圭一,"実験から見た「光子の裁判」単一性と非局所性", 数理科学No607(2014年1月号), P32.

註:太陽光で実験をしても図12のような干渉縞ができないのは、いろいろな波長による幅の違う干渉縞が重なってしまい、観測しづらくなるためです。位相がランダムなインコヒーレント光だからと説明していましたが、あさんからコメントの通り、訂正いたします。

 

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