BICEPという観測グループがインフレーション中に生成された量子的な重力波(重力子、グラビトン)の痕跡を見つけたと発表された。
http://www.caltech.edu/content/first-direct-evidence-inflation-and-primordial-gravitational-waves
従来の宇宙論シナリオではグラビトンの寄与であるBモードはスカラー場(インフラトン)の寄与に比べて小さく、発見できないそうにないという予想もあった中でのできごとだ。
この観測結果が本当であれば、それが与える宇宙論、重力理論、そして素粒子論へのインパクトは大きすぎる。
今後この観測結果を用いた研究が大量に出てくるはずだが、十分慎重に行う必要があろう。
ところで発表の中で理論家のカミオンコフスキーさんが「私たちはホーキング輻射を見ている。」と発言した。
この意味を解説しておこう。
まずインフレーションとは、宇宙全体がミクロなサイズから指数関数的に急膨張する時期を表す。
この間に空間の物質密度はどんどん薄くなり、局所的に見るとほとんど量子場の"真空状態"になる。
そのためインフレーションが終わると、デコボコが非常に少ない「つんつるりん」の大きな宇宙が出来あがる。
だが完全に物質や時空のデコボコが無くなってしまえば、その後いくら時間が経過しても星や星雲、ひいては我々人類という構造物が宇宙内に形成されることはない。
つまりインフレーション後には、ある程度の物質密度や時空の揺らぎが必要なわけだ。
その揺らぎのタネを与えるのが、膨張宇宙内での熱的量子揺らぎである「ホーキング輻射」である。
ホーキング輻射というと多くの人はブラックホールを思い浮かべると思う。
しかしホーキング輻射はブラックホールに限らず、事象の地平面と同じ構造の境界面が存在する時空でも生成されると考えられている。
例えばインフレーション宇宙を記述するドジッター時空がその1つだ。
この宇宙の中を自由運動する観測者を考えよう。
宇宙が急膨張をするために、観測者の周りにあった物質は凄いスピードで四方八方に離れて行く。
そしてハッブルの法則から、距離が離れるとともにその離れるスピードはますます速くなる。
そしてある距離だけ離れると、例え光の速度でUターンしてもあらゆる物体はその観測者のもとに戻ってこれなくなるのだ。
このぎりぎりの距離は宇宙膨張の加速度であるハッブル定数Hの逆数で与えられ、その境界面は宇宙的地平面(cosmological horizon)と呼ばれる。
ドジッター空間ではHは一定なので、インフレーション開始後しばらくすると観測者の見る風景は変わり映えしなくなり、定常的になる。
このことを表現する、重力場の計量が時間に依存しない座標系も存在する。
この"静的"座標系では、観測者をぐるりと取り囲む地平面を起源として熱的揺らぎが観測できる。
これがドジッター時空(インフレーション)のホーキング輻射だ。
その温度はHに比例する。
急膨張のために量子場が宇宙全体としての"温度零の真空状態"になっているとしても、その中を慣性運動する観測者はこの量子的"熱揺らぎ"を観測するのである。
ちょうどブラックホールのときとよく似ているが、ブラックホールでは地平面外部にいる観測者がホーキング輻射を観測する。
しかしドジッター空間では地平面に取り囲まれる観測者が熱的揺らぎを観測するわけだ。
この揺らぎがインフレーション後にも残って、量子的な揺らぎから古典的な揺らぎに転換し、宇宙の構造形成のタネになると考えられている。
我々もこの量子揺らぎを起源にして形作られたのだ。
カミオンコフスキーさんの発言は、こういう背景から出たものである。
(註:なお量子的揺らぎが古典的揺らぎになる、この興味深い転移過程は多くの人達が研究してきた。最近では名古屋大の南部保貞さんが量子エンタングルメントの視点から解析されている。またブラックホールと違って、インフレーション宇宙のホーキング輻射の熱的性質には微妙なところがあり、これも研究者の間で議論が続いている。)