20世紀初頭の量子力学黎明期の混乱の中で、間違った形のまま固まってしまい、最近まで伝承されてきてしまったものの1つに、"時間とエネルギーの不確定性関係"の話がある。
発端はソルヴェイ会議におけるアインシュタインとボーアの論争から。
アインシュタインは光子箱の思考実験を持ちだして、時間とエネルギーの間には不確定性関係はないと主張したが、ボーアは彼の一般相対論を持ち出して論破したのだと言われている、あの例の話だ。
しかし現代において量子測定理論を少しかじった研究者ならば、ボーアの言い分は全くのこじ付けで的外れであることを知っている。
一方、湯川中間子論でも論じられた、摂動論的議論に現れる別な"時間とエネルギーの不確定性関係"は多くの人に誤解されたままのようだ。
この問題の内容はこうだ。
相互作用をしている2体系を考えよう。保存量である全ハミルトニアンHを、それぞれの部分系の一体エネルギーを記述する自由ハミルトニアン項Hoと、それ以外の相互作用項Vの和で書く。
そして初期時刻t=0において、合成系の状態をHoの固有状態でもある直積状態|Ψ〉=|ψ〉⊗|φ〉にする。
この状態に対して時刻t=0からt=Tまでの合成系の時間発展を、いわゆる相互作用表示での摂動で計算すると、Hoは保存量でないためにHoの異なる固有値の状態への遷移が可能となる。
そしてこの遷移確率の表式には[sin(TΔE/2ℏ)/(TΔE/2ℏ)]^2という因子が現れる。ここでΔEは始状態と終状態のHoの固有値の差だ。
Tを無限大にするとこの因子はデルタ関数に比例するようになるため、エネルギー保存則ΔE=0を意味する因子だと、よく説明されるわけだ。
一方、Tを有限のままにしておくと、この因子はΔEに対してℏ/T程度の幅を許容するようになる。つまりΔE∼ℏ/Tということだ。
そしてこの結果を「量子力学では時間間隔Tが有限だと、エネルギー保存則はℏ/T程度破れる。」と間違って解釈することが広まってしまったのだ。
この誤解を解くために最初に思い出しておくべきは、保存するエネルギーはHoではなく、相互作用まで含めた全ハミルトニアンHであり、それはどんな短時間であろうとも時間発展に対して不変であるという絶対的事実である。
Hに対しての保存則の破れや時間間隔による不確定性関係は決して存在しない。
この意味でΔE∼ℏ/Tは摂動論固有のartifactと言える。
2つ目に留意すべきは、"エネルギー保存則の破れ"であるΔEがこの議論ではきっちりと定義されていない点である。
そもそも有限系で考えても「エネルギー保存則はΔE∼ℏ/T程度破れる。」という主張はおかしい。
例えば 有限系では、Hoに最小の固有値とともに有限の最大固有値が存在する。
しかしT→0とすると、ΔEは無限大に発散しなくてはいけない。
Hoの最大固有値と最小固有値の差が有限のままにも関わらず、である。
原理的な最大幅を超えてΔEが発散しながら大きくなるなんて、ナンセンスだ。
しかも有限系ならばT→0の極限は、むしろ摂動論の近似が良くなる時間領域である。
その領域ですら意味を持たないΔE∼ℏ/Tという関係は、いかなる不確定性関係の名もふさわしくない。
実際ΔEをきちんと定義したいならば、例えばOzawa流の誤差演算子を用いることでも可能であろう。
これまで議論してきた摂動論でのΔEを"保存則の破れ"と上では呼んでいたが、本来の意味を考えるとこれは相互作用によって引き起こされたエネルギーHoへのdisturbanceに近い。
つまりHo(T)をHoのハイゼンベルグ演算子(相互作用表示のものではなく、Vを含む全ハミルトニアンHによる時間発展で定義されたもの)としてΔE=[〈Ψ|(Ho(T)-Ho)²|Ψ〉]^(1/2)と定義すれば良い。
このΔEは明らかにT→0極限でも発散せず、むしろ0に近づく。
Vがいくら弱い相互作用の場合でも、である。
無限自由度をもつ量子場系を考えると、先のΔE∼ℏ/Tの導出はもっと怪しくなる。
例えばQEDのような質量次元零の結合定数をもつVに対しては、有限時間の最低次の遷移確率は紫外発散を起こしてしまう。
この破綻はいわゆるループによる紫外発散ではなく、ΔE≳ℏ/Tの関係を満たす終状態の数が紫外領域で発散するために生じる。
このため遷移振幅の非摂動的足し上げと特別な繰り込みが要求され、ハミルトニアンの素朴なHoとVへの分解が物理的ではないことを示している。
つまり裸の(bareな)無摂動ハミルトニアンHoだけや、Vだけを測定することは事実上不可能なのだ。(測定にカットオフスケールの高エネルギーが要求される。)
摂動の1次の遷移確率の公式は単なる形式論であり、この場合には計算そのものが破綻している。
その破綻した形式論の結果からΔE∼ℏ/Tという関係を取り出す論法自体も破綻するのだ。
最近ΔE∼ℏ/Tを「部分系AとBの間の相互作用時間Tと、AからBへ(またはBからAへ)流れるエネルギー移動量との間の不確定性関係」と命名しようという提案まで飛び出している[1][2]。
しかしこの命名も単に誤解を招くだけのものだ、と私は思う[3][4]。
この命名の根拠の概要は、以下のようなストーリーだ。
まず時間Tの間だけ相互作用Vが存在していると想定して計算をしても、上の議論と同じ遷移確率の表式を得る。
時刻t=T以降にはVは消滅して、AとBのエネルギーHoだけが残るという寸法だ。
またt=0以前にもVは零だったと考える。
そこでΔE∼ℏ/Tを持ち出すのだ。
操作前のA、BのHoの固有値をEi(A)、Ei(B)とし、操作後のHoの値をEf(A)、Ef(B)としよう。
するとVの操作の前後で ΔE=(Ef(A)+Ef(B))ー(Ei(A)+Ei(B))=O(ℏ/T)という関係があるはずだから、
Ef(A)ーEi(A)=Ei(B)ーEf(B)+O(ℏ/T) (1)
という結果を得るはずだ、というのである。
そしてEf(A)ーEi(A)やEi(B)ーEf(B)を操作中のAB間でのエネルギー移動量と考えると、両者は一致せずにℏ/T程度のずれが生じるから、これを"相互作用時間とエネルギー移動量の不確定性関係"と呼ぼうという話だ。
が、この話もやはり変だ。
そもそもエネルギーはAとBの間だけを往来するわけではない。
Vのスイッチオンオフを行う機器系Cとも、ABはエネルギーをやりとりする。
ABCの合成系全体でエネルギーを保存しつつ、AからCへ(CからAへ)、またBからCへ(CからBへ)と流れることもできる。
よしんばCへのエネルギー移動も含めて、Ef(A)ーEi(A)やEi(B)ーEf(B)をエネルギー移動量と呼んだとしても、有限系での(1)式のT→0極限はやはりおかしい。
ΔE∼ℏ/Tは無限大に発散するが、矛盾が生じる。
今の設定は、Vの効果を含んだユニタリー演算子U(T)をAB系に作用するだけの話である。
これはTが長かろうが短かがろうが変わらない。
従って、例え量子場系でも、ちゃんと定義されている物理的なユニタリー操作U(T)の後の状態に対して、Hoの期待値やその分散、そしてその高次のモーメントは有限だ。
ΔEが発散する現象は、どこにも見られない。
実際この議論でもOzawa流のdisturbanceでΔEを定義すれば、T→0極限での発散は明らかに生じない。
つまり(1)式のようなT依存性はVの結合定数がどんなに小さい場合でも実際には現れない。
むしろ通常のVのスイッチオンオフでは、操作の詳細に依存した、(1)式とは全く異なる関係が現れるのが普通である。
このことから(1)式の関係は、"相互作用時間とエネルギー移動量の不確定性関係"という名にふさわしいような、弱い相互作用の場合に普遍的に実現する関係ではないことは明らかだ。
結局この"相互作用時間とエネルギー移動量の不確定性関係"もまた、1つの幻なのだ。
そろそろ物理業界全体も、これらの"時間とエネルギーの不確定性関係"という迷信から解放されてもいい時期ではないだろうか。
(註:文献[3]及び[4]では"不確定性関係"という命名の仕方を批判したが、ここで述べているように、[1]と[2]で提案されている「相互作用時間とエネルギー移動量の不確定性関係」の内容自体も物理的に全く無意味である。このような摂動論的不確定性関係が存在するという誤解を与える記述が流布することは、やはり教育の上でも禍根を残すと感じている。)
Reference:
[1] 谷村省吾, 素粒子論研究電子版Vol.16, "時間とエネルギーの不確定性関係―腑に落ちない関係".
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~soken.editorial/sokendenshi/vol16/tanimura.pdf
[2] 谷村省吾, 素粒子論研究電子版Vol. 17," 時間とエネルギーの不確定性関係II.― 非可換性の視点から".
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~soken.editorial/sokendenshi/vol17/tanimura.pdf
[3] 堀田昌寛, 素粒子論研究電子版Vol.16, "素粒子論研究Vol.16「時間とエネルギーの不確定性関係- 腑に落ちない関係」に対するコメント".
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~soken.editorial/sokendenshi/vol16/hotta.html
[4] 堀田昌寛, 素粒子論研究電子版Vol.17, "素粒子論研究Vol.17「時間とエネルギーの不確定性関係II. - 非可換性の視点から」に対するコメント".
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~soken.editorial/sokendenshi/vol17/hotta.pdf