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Quantum Universe

量子情報物理学を中心とした話題で、気が向いたときに更新。ツイッター: https://twitter.com/hottaqu

ブラックホール防火壁仮説Ⅱ:量子情報理論的なブラックホールの年齢 (ペイジ時間の考え方)

今回はブラックホール防火壁(ファイアーウォール)仮説[1]を理解するために必要な知識を、つれづれなるままに(?)書いてみよう。

 なおこの仮説の内容を予告しておくと、前回書いたブラックホール相補性のシナリオの半分を書き変えたものと言える。

相補性シナリオは、地平面外部の観測者にとって地平面は量子情報を記憶する物理的な膜として振る舞い、自由落下する観測者にとってはその膜など全くないという話だった。

そして自由落下する観測者は地平面を易々と横切り、ブラックホール内部の空間に侵入して、やがて時空の特異点に消されてしまうという展開。

防火壁シナリオでは、この後半が違う。

自由落下する観測者にとっての地平面も火の壁であり、観測者はこの壁に衝突して焼かれてしまって、ブラックホールの内部を覗き見ることができない。

更に「もともとブラックホールには内部空間などない。」という衝撃のスクープにポルチンスキーらは成功したと言うのだ。

果たして本当だろうか?

個人的見解を先に述べておくと、ホーキングらと同様で、それは「あまりあり得そうにない。」

(しかし彼等とは別な防火壁パラドクスが存在して、それは一般相対論に量子情報理論的な宇宙検閲仮説(Cosmic Censorship Conjecture)を持ちこむという面白い話になる。この話は次回以降にアップしよう。)

 

 

ポルチンスキー等が最初に出した"証拠"というのは、ある量子情報理論を用いた"パラドクス"だった。 

このパラドクスを説明するためには、少し(いや長い)脱線をしなくてはならない。

一部の超弦理論家の中で根強い人気のある仮説に、ブラックホールのペイジ時間(Page time)という話がある。

これはブラックホールが"成人する"年齢みたいな概念である。

以下では、ペイジのオリジナルの話を少し簡便化したバージョンで、ペイジ時間の概念を掴んでみよう。

ペイジ時間を導入するために、まず「正しい量子重力理論(これは現在誰も知らないものだが)」では、ブラックホールやホーキング輻射の自由度は紫外発散も抑えられて、対応するヒルベルト空間の次元も有限になっていると考えよう。

(註:この考え方も超弦研究者は好む。結局超弦理論に無限大の発散は出現しないため。例えば重力を考えないで量子場を考えると、いくらでも短い波長(大きな運動量)の高エネルギーモードが現れて、紫外発散を起こす。しかし重力を考慮すると、高エネルギーモード部分に対応する粒子は、自己重力によりブラックホールに化けてしまい、その地平面半径より小さなその内部空間は見えなくなるかもしれない。その結果量子時空の自由度も有限になる可能性もあり得るわけだ。ただしその大きさは膨大ではあるが。)

純粋状態にある物体が重力崩壊を起こして、ブラックホールになったとしよう。

このブラックホールからはホーキング輻射が出てくる。

最初はブラックホールしかなかったが、時間とともにそれは小さくなり、最後には大量のホーキング輻射だけとなる。

これを記述するブラックホール蒸発過程の量子力学が存在して、更に以下では簡単のため、そのヒルベルト空間の次元は時間に対して一定でかつ有限な自然数Nであるとしよう。

ブラックホールを記述するN(B)次元のヒルベルト空間と、ホーキング輻射を記述するN(R)次元のヒルベルト空間の直積で全体のヒルベルト空間は記述できるとしよう。

従って今の場合、直積関係からN=N(B)×N(R)という関係が成り立つ。

ここで大胆な扱いではあるが、以下のように想像してみるのだ。

最初ブラックホールしかなかったのでN(B)=Nだったが、Nを固定しながら時間とともにブラックホールは蒸発してN(B)は小さくなり(次元が1つ1つジャンプしながらヒルベルト空間が小さくなり)、輻射は増えてN(R)は大きくなるとしよう。

(註:N(R)=N/N(B)を満たすN(R)は自然数にならない時刻が出てくるが、そもそも近似的取り扱いにしか過ぎないので、その場合にはN(R)の小数点を無視して得られる自然数でRの次元を与えると考える。)

最後には輻射だけとなり、N(R)=Nとなる。

この次元の時間変化がブラックホールの蒸発を記述すると考えるのだ。(正しい量子重力理論があるわけではないので、もちろん証明されているわけではない。)

不明である現実のホーキング輻射の生成過程をguessするために、ここで次の事実を思い出そう。

ブラックホールではない普通の天体のダイナミクスですらとても複雑で、出てくる輻射は天体内部の運動によって激しく掻き混ぜられてから放出されている。 

似たことがブラックホール蒸発過程でも起きると期待するのは、悪くないかもしれない。

 そこで科学的な「ギャンブル」に打ってでよう。

 複雑であろう量子重力のダイナミクスによって系はかき混ぜられており、どの時刻でも「典型的な」状態のどれかになるだろうと、考えるのだ。

もちろん"典型的な状態"(typical state)という意味を科学的に考える必要がある。

そこで一般的な合成系の典型的状態の理論[2]を利用する戦略をとる。

N(A)次元のヒルベルト空間を持つ量子系AとN(B)次元のヒルベルト空間を持つ量子系Bを合成してAB系を作る。

以下では次元の大きいほうをAととり、小さい方をBとしよう。(N(A)>N(B).)

この合成系の純粋状態|Ψ(AB)〉は、N(A)×N(B)次元のヒルベルト空間の元である。

各|Ψ(AB)〉からは、AとBの間の量子縺れの指標の1つであるエンタングルメントエントロピーS(|Ψ(AB)〉)が計算できる。

そしてS(|Ψ(AB)〉)を、純粋状態の集合であるヒルベルト空間内の単位球面上において等しい重みで平均化するのだ。

(註:量子統計力学の基礎付けとも絡みながら70年代終わりから90年代にかけて現れてきたこの"典型的状態"の考え方[2]は、その後もいろいろな形に拡張され、最近流行の"熱的純粋状態(Thermal Pure State)"の話へと繋がっている。)

得られた平均値<S(|Ψ(AB)〉)>は大変興味深いものだった。

N(A)とN(B)がともに1よりずっと大きいマクロ系の場合、平均値<S(|Ψ(AB)〉)>はBがA(の一部)と共有できる最大量子縺れにほぼ一致したのだ。

 平均値がほぼ最大値に一致するということは、平均値に近い値を持つ典型的状態においても、量子縺れはほぼ最大値になっていることを意味する。

つまり典型的な状態において、小さな系Bは大きな系A内のどこかの部分系とほぼ最大に縺れているのだ。

エンタングルメントエントロピーSで量子縺れを表すと、S∼lnN(B)となっている。

この結果は典型的状態においてBの縮約状態ρ(B)=Tr_{A}[|Ψ(AB)〉〈Ψ(AB)|]は、ほぼ最大エントロピー状態ρ(B)∼I/N(B)に等しいことを意味している。

「この性質はきっと量子重力でも成り立つに違いない。」と思っている超弦理論家は多い。

そしてこの結果をブラックホール蒸発にも応用しようと彼等は思うわけだ。

そこから出てくる概念が「ペイジ時間」である。

ブラックホールBとホーキング輻射Rを各時刻で記述する量子状態は、その時刻でのN(B)とN(R)で決まるヒルベルト空間の1つの典型的状態|Ψ(BR)〉になっていると仮定するのだ。

量子重力のダイナミクスから|Ψ(BR)〉を追うことは諦めて、「きっと各時刻で典型的状態にはなっているだろう。」と単にguessするのである。

 ブラックホール蒸発の各時刻において系は1つの典型的状態を辿っていく。

 ブラックホールが作られたばかりでまだ若い場合にはN(B)>N(R)が成り立つため、まだ少量しか出ていないホーキング輻射はブラックホールの自由度(の一部)と最大に縺れている。

しかし時間とともにブラックホールが蒸発してN(B)<N(R)となると、今度はブラックホールの自由度は外にあるホーキング輻射の自由度(の一部)と最大に縺れるようになる。

そしてちょうどN(B)=N(R)となる時間をペイジ時間と定義するのだ。

球対称なシュワルツシルトブラックホールの場合、作られた直後のブラックホールの質量の約7割にまで質量が減少する時間である。

ペイジ時間以降のブラックホールは「年をとったブラックホール(old black hole)」と呼ばれる。

この年寄りブラックホールでは、ブラックホールエントロピーA/(4G)が、BとRの間のエンタングルメントエントロピーSと解釈できる。(Aは地平面の面積。)

統計力学的にN(B)∼exp(A/(4G))という関係を仮定するとS∼lnN(B)∼A/(4G)と計算されるからだ。

ブラックホールエントロピーと量子エンタングルメントが自動的に繋がるこの議論は、確かにとても魅力的である。

しかし注意が必要なのは、この説明も、ペイジ時間という概念とともに、多くの仮定のもとから導かれた仮説に過ぎないという点である。

次回以降では、これらの概念を用いてポルチンスキー達は何故ブラックホールに内部空間はないと主張したのかを書いてみよう。(いつアップされるかは不明であるが。)

Reference:

[1] A. Almheiri, D. Marolf, J. Polchinski, and J. Sully, http://arxiv.org/abs/1207.3123

[2] E. Lubkin, J. Math. Phys. 19, 1028 (1978); S. Lloyd and H. Pagels, Ann. Phys. (NY) 188, 186 (1988); D. N. Page, Phys. Rev. Lett. 71, 1291 (1993).



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