Quantum Universe

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「量子的」と呼ばれつつ、古典的な本質をもつ現象

 

「量子的」と思われているいくつかの現象の本質が「古典的」であることは、案外知られていないようだ。

弱測定における増幅効果もそうだし、量子消しゴム(量子消去)をレーザーポインター等の日常の道具を使って確かめようとする実験も、実はそのような例になっている。

本質的に量子効果でしか起き得ない「量子的な場合」と、古典力学でむしろ馴染みのある現象を量子的環境にも適用している「量子的な場合」の区別は重要かもしれない。

今回はこのことについて述べてみよう。

まずは弱測定の増幅効果(amplification effect)の話からいこう。

(弱値、弱測定についての基礎的な話は

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/22/123604

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/11/152110

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/20/233839

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/24/043644

を参考にして欲しい。)

図1のように、非常に小さな値とだけ分かっている未知のパラメータθに依存した|ψ(θ)〉という量子状態にある物理系を弱測定して、θを推定したいとする。

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物理量Aの弱値は図2の式で一般に定義される複素数量であるが、この実部(real part)は図1の実験で測ることができる。

 

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図1のように、Aを"アバウト"に測る測定機をこの量子系と極めて弱く相互作用させる。

"アバウト"という意味は、この測定機のメーターの針の位置が激しく揺らいでおり、針が指す中心の平均値を読みとるには何回も実験を繰り返さないといけないという意味である。

弱くはあるが注目系と測定機が相互作用をするために、θの情報は少しだけ測定機に書きこまれる。

また相互作用が弱いために、注目系の量子状態も少ししか測定によって変形しない。

それを図1では|ψ′(θ)〉と書いている。

弱測定では、この後にBという別な物理量の理想測定を量子系に対して行う。

Bの各固有値が観測される確率は、いつも通りに|ψ′(θ)〉と各固有ベクトルとの内積の絶対値の2乗で与えられる。

そして得られたBの固有値に対して決まる、図2の式で定義された弱値の実部が、図1のAのアバウトな測定機の針の平均値から読みとれるのだ。

これが弱測定のプロセスである。

得られる各弱値の実部はθに依存しているので、これからθを推定することもできる。

ここで図2の弱値の定義を見て欲しい。

分母に2つの状態の内積がある。

このため、もしBのある固有状態が|ψ′(θ)〉(そして|ψ(θ)〉)とほとんど直交していたら、その弱値の大きさは発散するのである。

従ってその実部も発散するため、メーターの針の中心値も大きく動き、弱値の値が読みやすくなると言われている。

これが弱測定での「増幅効果」である。

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したがってθの推定の精度も、測定機の普通の使い方に比べて、ある程度上げることが可能だ。

これについては

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/22/123604

と文献[1]を参考にして欲しい。

 

さて、この弱測定をパラメータθの推定とみなしたとき、得られた増幅効果は本質的に「量子的」なのだろうか?

実は、これは古典確率論でも起きるありふれた現象である。

図4のように、「まれにしか起きない現象が起きたとき、得られる驚き(情報量)は大きくなる。」ということに過ぎない。

f:id:MHotta:20140517065202j:plainこれはベイズ統計等のいろいろな形で論じることができるが、ここでは統計学のフィッシャー情報量での考え方を紹介しておこう。

ある確率分布が未知の微小パラメータθに依存している一般の場合を考える。

測定をしてn番目の結果が観測される場合のθの推定値をΘnとしよう。

すると図5のように、平均化されたθの推定値、その確率分布での平均2乗誤差、そして実験の系統誤差がないとした時のθの推定誤差が定義される。

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揺らぎ幅ΔΘに比べて、中心値Θのθの感度が高ければ(少しθを変えるだけでΘが大きく変化すれば)、推定誤差Δθは小さくなる。

ここで統計学でよく知られている結果である、図6の「クラメール・ラオ不等式」というものがある。

f:id:MHotta:20140517065218j:plainこれは推定誤差Δθには原理的下限があり、それはフィッシャー情報量の平方根の逆数になっていることを意味している。

(註:クラメール・ラオ不等式の証明は割と簡単で、三角不等式を用いるとすぐにできる。)

つまり確率分布のθ依存性で定まる、このフィッシャー情報量が大きいほど、1回の測定で得られるθの情報も大きいということになる。

また独立に同じ試料をN個用意して測定をした場合には、クラメール・ラオ不等式は図7のようになる。

f:id:MHotta:20140517065225j:plainつまりNが大きくなると、推定誤差はNの平方根に反比例して減少をする。

さて未知の微小で(正の)パラメータθに対して、図8のような確率分布を考えてみよう。

これは2つある可能性のうち2番目の結果が生じる確率がとても小さい場合の例である。

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この場合のフィッシャー情報量は、図8の下式のようにとても大きくなる。

これはめったに起きない2番目の事象が1回起きた場合、「θが零ではない。」ことを強く示唆するためである。

一般にまれにしか起きない現象を観測しようとする時、極わずかなデータ数でもθの推定値に大きな影響を与えてしまうのだ。

弱測定でも、物理量B(ポストセレクションの基底)をうまく選んで「まれにしか生じない実験結果」を意図的に用意して、ほとんど起き得ない結果が得られたときの「驚きの大きさ」を使った増幅効果を利用しているに過ぎない。

 

なおここで重要なのは、この「まれな事象に対する驚きの効果」は、実際の実験や観測ではそのまま鵜呑みにできないことである。

取り除くことが難しい環境ノイズ等を原因とする「系統誤差」が常に存在するからだ。

まれにしか起きない結果がたった1回得られても、それが本当に意味のあるデータであるのか、それとも単にノイズであるのかは判断できない。

弱測定でも同様で、増幅効果が系統誤差を超えて際限なくパラメータ推定の精度を上げ続けないことは知られている [1]。

膨大な無駄を伴うデータ数を時間をかけて溜めることにより、通常の使用法では系統誤差のために手の届かない、高い精度のパラメータ推定を達成しているに過ぎない。

だから、量子光学のように安く、そして短時間に沢山のデータをとれる分野では、弱測定の増幅効果のメリットは享受しやすい。

一方高エネルギー物理学のような、1つ1つのデータを得るのに長い時間とお金がかかる場合には、簡単に弱測定のメリットが発揮されることはない。

 

次に「量子的」と呼ばれながらも古典論だけで十分に説明がついてしまう例として、量子消しゴム(量子消去)のレーザーポインターの実験を考えてみよう。

これはレーザーポインターと、針金、3枚の偏光板があればできてしまう。

身の周りのものを使って実験できる手ごろさから、人気のある実験である。

偏光板は面内の一方向に沿って電流が通る構造を持っており、電波の偏光実験で使われるワイヤー格子の縮小版だ。

偏光板中で電流が流れられる向きに対して垂直に電場が振動する電磁波成分は、偏光板を通過できる。(図9、図10)

一方、平行な成分は偏光板を通過できない。

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従って、図11のように電流が流れられる方向が直交するように2枚の偏光板を並べると、2枚目で波は止まってしまう。

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"量子"消しゴム実験をするには、レーザーポインターと1本の針金を図12のように設定する。

f:id:MHotta:20140517065320j:plain針金の左右に分かれたビーム中の光子が、離れたスクリーン上に干渉縞を作るのが分かるはずだ。

一方、図13のように針金の左右に向きの異なる偏光板を入れると、干渉縞は消滅する。

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"量子"消しゴムの立場からは、光子の偏光自由度に左右どちらの経路を通ったかの情報が書き込まれたために、各光子の干渉効果が生じなくなったためと説明される。

 

3枚目の偏光板を図14のようにななめの角度でビームライン上に挿入すると、図11で止まってしまったビームは再び透過するようになる。

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これは光子の偏光の記憶が、挿入された偏光板によって消されたからと、説明される場合も多い。

また図13の状況において3枚目の偏光板を図15のようにいれると、再び干渉縞が現れる。

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これは1つ1つの光子が偏光の記憶及び左右の経路の記憶を失って、干渉する能力を取り戻したと説明がしばしばなされている。

しかし、これらの現象は「古典電磁気学だけ」でも再現される内容なのである。

位相をそろえながらもレーザー強度を高めてマクロなコヒーレント状態にすれば、それは古典的電磁場として振る舞うからだ。

ビームの強度がよほど小さくなって、1つの波束の中にほぼ1つ程度の光子が入っているような場合だけが、純正な「量子消しゴム」実験と見なせるのだ。

特に図14の現象に関しては、強度の弱い特別なレーザービームを使わなくても、太陽光や蛍光灯の光でも体験できる。

 つまりこれらは数理モデルとして、古典電磁気学だけで基本的に十分理解可能な現象なのだ。

レーザーポインターを用いたあの実験は、実のところ量子消しゴムの「量子実験」を疑似体験できる「古典シミュレーター」とみなしたほうが良いと、ある実験家も言っていた。

 

また最近では量子消しゴムの間違った理解により、光子のスピンである偏光の自由度ではなく空間的な軌道角運動量を用いて光子の経路を記憶させると、ナイーブには干渉が起きないと考える人もいるかもしれない。

だが、なにも変な議論をせずとも、図16のように軌道角運動量の固有状態である球面調和関数の重ね合わせで干渉縞ができることは、よく知られている事実である。

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偏光の場合と違って、どんなに軌道角運動量を用いて経路情報を記憶させようとしても、干渉縞を消すことはできない。

普通の量子消しゴムの話は、スピン等の、空間的自由度とは独立な自由度のヒルベルト空間に安定して経路の記憶を収納できるから、非自明な話になるのである。

軌道角運動量が粒子の経路と独立なメモリー自由度になれないことはそもそも当たり前であり、それを量子消しゴムの話にこじつけようとする必要はない。

普通に"オッカムの剃刀"を尊重すれば、消すものがない消しゴムは「消しゴム」と呼んではいけないのである。

また光子を電子に置き換えたダブルスリット実験でも、軌道角運動量の異なる波動関数の重ね合わせは昔から干渉することは分かっている。

軌道角運動量を定める位置の原点をダブルスリットの間にとれば分かるように、左右の窓から出てくる波は、当然符号の異なる角運動量の重ね合わせ状態である。

しかしスクリーンには干渉縞が普通にできる。

また普通の電子を用いた散乱実験等でも当たり前に干渉効果は出てくる。

なお「きちんとした」量子消しゴムの話を含む記事としては、枝松さんの数理科学の記事[2]があるので、ご一読をお勧めする。 

[1] J. Lee and I. Tsutsui, http://arxiv.org/abs/1305.2721.

[2] 枝松圭一,"実験から見た「光子の裁判」単一性と非局所性", 数理科学No607(2014年1月号), P32.

註:太陽光で実験をしても図12のような干渉縞ができないのは、いろいろな波長による幅の違う干渉縞が重なってしまい、観測しづらくなるためです。位相がランダムなインコヒーレント光だからと説明していましたが、あさんからコメントの通り、訂正いたします。

 

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