その頃、病理医のY氏は、多忙をきわめていた。
いつもの業務に加えて、新しい研究を立ち上げ、それをもとに論文を書くつもりであった。
その日も、実験に協力してくれるアルバイトに集まってもらい、あるテーマに沿ったデータを彼らから収集するはずだった。
身長、体重、そして血圧の高いほうの値だけを調べれば、今回の研究で知りたいことは十分な精度で確定する。
そこでY氏は、この3つの数値を体の状態と呼ぶことにし、順番に測ることにした。
その集まってくれたバイトの中に、あの不可解な彼女、量子が、混じっていたわけだ。
その外見はまるでモヤのかたまりのようでもあり、目を凝らしても蜃気楼のように揺らいで姿が良く見えない。
彼は量子を測定室に招き入れると、身長、体重、血圧をそれぞれの装置で測ろうとした。
どこが頭部の頂きかも分からなかったが、身長計に載せるとパッと頭が現れた。
身長計は180cmを示している。
それを自分のノートに記入して、彼女を身長計から降りさせると、得体のしれない笑みとともに、量子の頭部はふたたびモヤの中に消えさってしまった。
「なんだコイツは。」と、腹のなかでおもいつつも、体重計の上に乗ってもらうと、グラグラと異様に揺れていたその目盛りは、突然凍ったように65kgのところでピタリと止まった。
Y氏はそれを書き留めると、体重計から量子に降りてもらうのを忘れたまま、量子の腕「らしき」ところへと血圧計を当てようとした。
その瞬間だった。
体重計の針が狂ったように左右に振れ出し、しまいには針がはずれて壊れるのではないというぐらいの異音を発した。
驚いたY氏は、血圧計を付けないまま、おもわず後ずさった。
すると量子が乗っている体重計の針は、またピタっと止まった。
何かいけないことをしたかのような不思議な罪悪感が、Y氏には涌いた。
が、気を取り直して、量子に体重計から降りてもらい、再び血圧計を腕らしく思える部分に取り付けると、上の血圧は120だった。
それをノートに書き留めると、Y氏は何か落ち着かなくなり、もう一度身長を測ってみようという気になった。
再度身長に乗った量子。そのモヤから現れた頭部は明らかに前よりずっと下に現れた。
身長160cm。
さっきは180だったはずだ。
(おかしい。)
量子の意向など構いもせず、Y氏は何回も身長、体重、血圧を繰り返し測り続けた。
機械は壊れていないはずなのに、その数値はどれも全く違うでたらめな値を出してくる。
「いや、部分的には法則性がある。」 Y氏は気づいた。
身長、体重、血圧のうち、同じ量を連続で測ると必ずその直前の値に一致していた。
身長が176cmだったら、直後に身長を測りなおしても、必ず176cmだった。
身長は確定した値を持っているように見えた。
しかし体重か、血圧をその後に測ってから、再度身長を測ると今度は別な数値が出てくる。
何回繰り返してもいいのだが、連続した測定の場合だけ、値が1つに固定されるのだ。
これと同じ法則性は、体重測定、血圧測定の場合でも、確認された。
Y氏は驚嘆し、思わず声に出してしまった。「こいつは何者だ。」
猛烈な好奇心に駆られ、Y氏は予定していた研究テーマを捨て、量子の不思議な挙動を調べることを決心した。
量子以外のバイトを全員返して、しばらく黙り込んでY氏は考え抜き、まずは量子の体の「状態」の特徴付けをしなくては、と思った。
量子の状態は、決まった身長、体重、血圧を同時にとることはない。
仕方なく、この奇妙な事実は、受け入れることにした。
そして「身長を測ったときに180cmになる状態」とか「体重を測ったときに77kgになる状態」とか、「上の血圧を測ったときに129になる状態」とかと、長ったらしいが、測定状況を細かく指定することで、量子の「状態」とすることにした。
問題は「身長を測ったときに180cmになる状態」と、「体重を測ったときに77kgになる状態」とかの関係だ。
Y氏は、回転の速いその頭で、延々といろいろな可能性を考え抜くのであった。
(続く)