Quantum Universe

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量子論で、自分の脳を自分で観測するということ。

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コペンハーゲン解釈では、測定者と測定対象の量子系を「合理的に」分離できたときに初めて、量子力学は使える形で定式化されていると、これまで説明してきた。

(下記まとめを参照。http://togetter.com/li/758266

 

例えば図1は1つの量子的なスピン系を外部観測者が測定をする設定であるが、これは合理的分離が実現している典型例である。

 

しかし自分の脳を、いろいろな機器を用いて「自分自身で」モニターする場合は、この合理的分離に当てはまるのかという質問も出ることがある。

例えば、自分の脳の量子的状態重ね合わせを、脳からの信号を取り出しながら、自分自身で観測できるのかという問題だ。

答えから言うと、自分の脳の量子的重ね合わせ状態は自分では観測できない。

もし可能であれば、時々刻々1つの体験だけを感じている自分の意識と、量子的重ね合わせに含まれている他の体験との間で辻褄が合わなくなるためだ。

自分自身は1つの体験の記憶しかないのに、自分の脳のモニター上にはある確率で実現していない他の体験の結果が現れてしまう。観測されたその脳には、他の記憶が刻まれている。これは明らかな矛盾である。

量子力学で自分の脳を連続的にモニターしても、それは図2のように全く古典力学的振る舞いをするマクロな対象として認識されるだけである。

 そのデータから読み取れる情報は、自分の意識が各時刻に経験した唯一つの事実と全て整合してしまう。

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ただ、ある種の人間に対しては脳の量子的重ね合わせのために記憶や意識が不安定となり、2つ以上の異なる体験を同時にしているという主張もあり得るだろうが、その真偽を定める方法は科学の範疇の中に存在しない。

再現可能性がある健全な科学としての認識論的な量子力学においては、安定した意識と記憶をもつ観測者がいることが大前提である。

その場合だけ量子力学は高い能力を発揮するが、そうではないケースに対しては、量子力学は単に無力になるだけだ。

 

ただ、図2の脳の極一部分を構成している1つの電子などは、量子力学的対象として自分自身でもモニターできる。

マクロな脳の活動の自由度に対してだけ、古典力学的振る舞いが確立していればいいので、それとは関係のない脳のミクロな系の量子的振る舞いは、自分でも観測できるであろう。

また図3のように、事故や手術により右脳と左脳の間の接続を切られてしまったときでも、それぞれの脳に独立な意識が芽生えることもあり得る。

この場合には、様々な外部モニターを用いれば、一方の脳が他方の脳の量子的重ね合わせ状態を観測できる可能性も原理的レベルではある。(ただ飽くまで、原理的思考実験レベルであり、実際の実験はほとんど不可能である。)

 

f:id:MHotta:20160228130050j:plainこのように認識論的なコペンハーゲン解釈では、設定や環境をきちんと指定することによって、自分の脳を自分でモニターするときに量子性を観測できるかについて、具体的な答えを与えることは可能である。

一方、実在としての宇宙の波動関数しかない多世界解釈では、状況は違う。

その解釈論の中では、自分で自分の脳を観測するこの問いに答えるためにも、意識の創発自体を導く必要があるが、これは反証可能な科学的な問題になっていない。

(このあたりは下記ブログ記事を参照。

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2015/02/04/074443

多世界解釈では波動関数の収縮という概念がないため、状態も線形的に時間発展するのみだ。

このため、1つの体験を選択するという射影測定などの非線形的現象は説明できていない。

従って図4のように、多世界解釈では、自分自身で自分の脳の重ね合わせ状態を観測できるかについて答えようがないのである。

 

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