いまイギリスに来ている。9日間という短い期間に、ロンドン、ケンブリッジ、ノッティンガムを回る強行軍の出張だ。
最初のロンドンでは、ここの学術査読雑誌のEditorial Boardをしている関係で英国王立協会を訪問。ここはイギリスの科学の長い歴史が詰まっている場所でもある。
アイザック・ニュートンもかつてここの協会長をしていた。1703年から1727年の間勤めていたらしい。いろいろある貴重な資料の中から選ばせて頂いて、まずはニュートンの有名な『プリンキピア』の手書き原稿を見せてもらうことにした。
保存のために1枚1枚綺麗に現代の用紙に貼られてファイルされていた。
揮発性洗剤を含んだ備え付けのテイッシュで念入りに手を拭いた後、さっそく1枚1枚めくっていくと、推敲の跡が見てとれた。
次にはマクスウェルの『電気磁気論』初版本(1873年)を見せてもらうことにした。彼は現代物理学の基礎の1つである電磁気学のマクスウェル方程式でも有名な理論家だ。この方程式から電磁波の存在も予言した。
そしてこれがその序文のページだ。
これが目次のページになっている。
内容は非常に基礎的なところから丁寧に書かれている。下のページでは物理量の測定から論じている。
彼は熱力学でも重要な仕事をしている人だ。最近の情報熱力学でもホットなテーマである『マクスウェルの悪魔』も彼の思考実験から生まれたものだ。
1871年には有名な教科書『熱理論』を出している。その初版本も見せてもらった。
下のページでは温度計の構成の仕方を論じている。
イギリスが長い歴史の中で成してきた物理学への貢献をこうして実際に手にしてみるのは貴重な体験だった。
その日の午後はロンドンの町中にあるUniversity College London(UCL)の物理学科で量子エネルギーテレポーテーション(QET)のセミナーをさせて頂いた。ホストは友人のジョナサン・オッペンハイムさんで、彼には量子情報熱力学の沢山の論文がある。
QETは複数のマクスウェルの悪魔が低い温度の熱平衡状態を使って行える新しいツールになっているが、熱的QETの一般的理解を与える情報熱力学の第2法則の拡張は未だ完成されていない。UCLからまたなんらかの発展が出てくればうれしい。
ちなみにUCLは、イギリスの長い歴史ではまだ若い大学とされる。例え創立が1826年だとしても。
しかしその開学理念が実に素晴らしい。UCLができる前までケンブリッジ大やオックスフォード大は非常に保守的で、入学できるのは男性、貴族出身、英国教徒という条件を兼ね備えた人に厳しく限定していた。
それに反旗を翻したのが、「最大多数の最大幸福」というスローガンでも有名な哲学者ジェレミ・ベンサム。
彼はUCLの創立者の1人となって、その入学条件に対して、性別、政治、思想、宗教などのあらゆる差別を撤廃したのだ。
UCLの無宗教性のおかげで、オックスフォード大学とケンブリッジ大学では断られたチャールズ・ダーウィンの『進化論』の発表も、ここではできたのだそうだ。リベラルな大学の源流と言えよう。
ベンサムは遺言を書き、自分の死後肉体を保存させて大学の玄関ホールに置かせた。それがこの「自己標本」だ。今回もセミナーでの訪問に際して、UCLの守り神として玄関でお出迎えして頂いた。
この箱には下記のような解説文が付いている。
ウィキペディアからの引用
"死後ベンサムの遺体は、彼が遺言書で要求した通り、保存され、服を着て杖を持ち椅子に座った状態でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで木製の棚に保管された。これは"オート・アイコン"(自己標本)と呼ばれる[12]。それは公的な行事の際、倉庫から時折持ち出された。保存の過程で頭部は深刻な損傷を受けたので、頭部だけは蝋でできたレプリカである。本物の頭部も同じ棚に長年展示されていたが、たびたび学生のいたずらの標的にされ、事あるごとに盗まれたので、現在では別室に厳重に保管されている。"
UCLではセミナーも沢山の物性理論の人達や実験家も参加してくれて盛況だった。その前後の物理学の議論もQETだけでなく、量子情報熱力学のより一般的な熱状態の受動性の話やブラックホールファイアウォールの議論へと広がり、とても楽しい時間を過ごせた。
ロンドンの後は、ケンブリッジに鉄道で移動。ケンブリッジ大のDAMTP(Department of Applied Mathematics and Theoretical Physics)の一般相対論グループでセミナーをさせて頂いた。内容はブラックホールの事象の地平線上の漸近対称性の最近の結果についてである。写真はDAMTPが入っている建物であり、近代的な作りになっている。
中に入ると、ここのシンボルであるスティーブン・ホーキングさんの絵画や像が飾られていた。
セミナーは13時から始まる。聴衆がピザなどの簡単な昼食をとりながら聞けるランチミーティング形式だ。
会場に入ると、一番前の座席部分が空けられて、紙が置かれていた。
その紙には、次のように書かれていた。
そしてセミナー開始時間直前、彼はやってきた。
彼に研究発表をゆっくり聞いてもらえるのはこれが初めてだ。しかも講演内容は、彼が共同研究者のペリーさん(同じDAMTP)とストロミンジャーさん(ハーバード大)とともに昨年書いた論文に対して、ネガティブな結果も含めてある。。
これがどう彼らを刺激するかは未知数だった。彼らは現在コンピート中の競争相手でもあるのだ。
いつもより幾分緊張しつつだったが、話し出すとそれもどこかに消えていた。内容には自信があり、しかも楽しい物理が入っていると確信しているからだ。
だがトークの中盤に突如ホーキングさんが例の「あの声」で"Happy Xmas"とつぶやいてきたので、こちらは不覚にも動揺してしまった。
話していた部分には、もちろんクリスマスは出てこない。既に彼らの結果に対しての批判的コメントの部分は過ぎていたので、もしかしたら不満をもってからかい半分に発言したのかなとも思ってしまった。(しかし、後でわかるようにこれは全くの誤解だった。)
このグループのセミナーは彼が出席すると他の参加者の誰もが発言を控えてしまうのか(特に今回はそこの2人の教授の仕事に対するカウンターでもあるし、ケンブリッジ大はかなり保守的と多くの友人から聞いていた)、または彼が更なる発言するのを耳を澄ませて待っているのか、ともかく変な短い沈黙があった。
ただ彼の隣で付き添っている介護専門のスタッフの方が大丈夫だから続けてくださいと言っているし、また彼に発言意図をこちらから聞いてもその返事を機械に打ち込むのに10分以上は必ずかかると踏んで、後でゆっくりお聞かせくださいとだけ言って、先を進めることにした。
結局彼は特に発言することはなく、講演は時間通りきちんと終わった。
その後若い人が駆け寄ってきて、あの"Happy Xmas"の事情を解説してくれたのだ。
彼は気管切開をした後彼自身の声を失っており、車椅子に備えているインテル社の開発した機械を使って言葉を話している。最初は彼の眉の動きをモニターしてコンピュータ画面上の単語リストから自分の使いたいものを拾ってきて文章を書き、それを音声に直してきた。その後は手のかすかな動きで言葉を入力できる装置に切り替えた。
だが最近は症状の進行とともに高齢で体力も落ちてしまい、それまでのコミュニケーション方法ができなくなったらしい。
そこでインテル社は頬の運動を捉えるモニターを開発し、再び彼に言葉を与えることに成功したのだ。(これだけでも、彼と周囲の方々の苦労が偲ばれる。)
ただ頬方式には難点がある。それは食事中に起こる。食べ物を口に入れて咀嚼するときに、頬も連動してしまう。そして今回は「ランチ」ミーティングだった。彼も介護の方に手伝ってもらってスプーンでオートミールのようなものを口に入れてもらっていた。
するとしゃべりたい意思がなくても頬が動き、それがしばしばエラーを起こして、彼の体の不調を伝える非常時キーワードである"Happy Xmas"を、機械が勝手に発声してしまうのだそうだ。
今回もまさにそれだったらしい。このグループのランチセミナーでは定番の風景だったそうだ。最初から知っていれば、こちらもドキリともしなかったのだが。
ただ非常時を知らせるキーワードが"Happy Xmas"であるというのを聞いて、やっぱり彼らしいなと感じた。
彼の体にまだ自由が残っていて、研究者として最も脂がのっていた1971年にイギリス出身のジョン・レノンが出した有名な曲が"Happy Xmas"だからだ。
この曲には"War Is Over"という副題が付いており、スタイリッシュに反戦を訴えるものでもある。"WAR IS OVER! IF YOU WANT IT"というフレーズのコーラスが素晴らしい曲だ。
反戦家である彼も、この曲を聴きながら研究していた時期があるのもしれない。それでこの曲名を使っているのかもしれない。(この件は直接彼に尋ねていないので、想像である。)
その後興味を持ってくれた人の質問に答えたりした後、彼の部屋に伺った。ペリーさんとその学生さんも一緒だ。彼らは彼との意思疎通に慣れているので、心強かった。セミナー中には彼は質問を機械に打ち込むのにも集中力と時間がかかるため、お部屋に伺って改めて質疑応答という運びになったのだ。
彼はまず私がまだ知らないであろう、彼の共同研究者のその若い学生さんを機械に名前を打ち込んで紹介してくれた。
そして自分の講演に関する質問をくれたのだ。これも打ち込みにすごい時間がかかる。
隣に座らせて頂いて、文章が綴られていくコンピュータ画面の上をずっと観察していた。
彼は頬を動かして、画面上の辞書リストからアルファベットと使用頻度順に並べられている単語を探してきて、確定する。
これを繰り返して文章を延ばしていくのだが、みていると画面上のカーソルは彼が思うようには動いていないようだ。
なんども違う単語を拾ってしまい、それを消去しては、また頬を動かして自分が使いたい単語を取り出そうとしていた。
たった1行の文章でも、彼のこのような不屈の努力で綴られているのだ。
やはり彼は強い人だった。心動くものがあった。
その後ペリーさんや学生さんを含めて黒板を使って議論して、楽しい時間を過ごした。
(もちろん彼は基本的に聞いているだけになってしまったが、内容はきちんと理解しているようだった。)
彼の部屋にきて1時間半くらい経ってしまい、さすがに彼に疲れの色が見えた。
介護スタッフの方が彼に確認して、後はメールでということに。
自分は学生さんとカフェテリアで議論を続けた後、DAMTPを後にした。
スティーブン・ホーキングさん。現代のイギリスの物理学者で一般人にも最も著名な方である。しかし自分はそれよりも、彼のとても強い精神力に心魅かれたのだった。
さて明日は友人でもあるノッティンガム大のヨルマ・ルーコさんのところでセミナーをする。ケンブリッジ大と同じ内容だ。また懐かしい人達と物理の議論を存分に楽しんできたい。