Quantum Universe

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原始重力波観測で「私たちはホーキング輻射を見ている」と確実に言えるのか。

BICEP2でのBモード観測会見で出た「私たちはホーキング輻射を見ている。」という発言に関しての前回のブログの補足。

インフレーション宇宙を記述するドジッター(de Sitter)時空には宇宙的地平面(cosmological horizon)があるために、宇宙の中を自由運動をする観測者はその地平面から放たれている熱的輻射の揺らぎを見ているという解釈がある。

そしてその痕跡を現在我々はBICEPのデータで見ているという、カミオンコフスキーさんの発言のことだ。

その温度Tは宇宙の膨張加速度であるハッブル定数H(これはドジッター時空ではあらゆる時空点で一定)に比例し、T=H/(2π)で与えられる。

ホーキングらが提案したこの説明は、ブラックホールの地平面とホーキング輻射とに対応させて分かりやすいため、広く知られている。

では、今回の観測結果が他の観測グループによって追認された場合、ホーキングもノーベル賞候補になれるのだろうか?

実はこのホーキング輻射での説明には、批判がなされている。

時空の急膨張でも決して薄まらない原始的重力波やインフラトンの量子的揺らぎがホーキング輻射の熱揺らぎであるとの主張の不自然さは以下の点にもある。

まずふつうの熱平衡にある気体の振る舞いはそれを見る座標系によって変化するはずである。

実際、気体全体の重心運動に対して静止している系と、それに対して動いている系とでは差がある。

しかしドジッター空間の中の"ホーキング輻射"の場合、異なるスピードで自由運動をしている観測者もまったく同じ熱的状態を観測してしまうのだ。

これはドジッター時空がもつ高い対称性に原因がある。

時間1次元、空間3次元からなる4次元ドジッター空間は、5次元の平坦な時空に埋め込められ、そしてそこでの高次元のローレンツ対称性を持っているからだ。

(註:詳しく書くと、ds^2=-dT^2+dX^2+dY^2+dZ^2+dW^2という計量を持つ5次元ミンコフスキー時空に埋め込まれた、-T^2+X^2+Y^2+Z^2+W^2=(1/H)^2という曲面が4次元ドジッター時空である。従って明らかに5次元でのローレンツ変換に対して4次元ドジッター時空は不変。そしてドジッター時空での量子場の"真空状態"も5次元ローレンツ不変性をもつため、場の量子揺らぎは自由運動をする観測者のスピードに依存しなくなる。)

観測者のスピードに依らないのは物理的におかしいのではないかという疑問が昔から論じられてきたわけだ。

ブラックホールの場合には、このようなおかしなことは起きない。

ブラックホールは空間的に広がっている無限遠方の漸近的平坦領域でホーキング輻射が実際に観測できるためである。

しかしドジッター時空では半径が1/Hの球面内の閉じた空間内で「熱揺らぎ的なもの」が観測できるだけなので、いろいろ気持ち悪い部分が残るのだ。

実際のインフレーション宇宙は永久にドジッター時空で記述されるわけではなく、急膨張の始まりと終わりの時刻がある。

つまり5次元ローレンツ対称性は一部破れている。

だからどの自由運動している観測者でも同じに見えるという不自然なホーキング輻射の主張を信じなくてもいい。

このローレンツ対称性の破れこそが、"正しい解釈"を与える座標系を特定するわけだ。

その座標系では単に、指数的急膨張の始まりと終わりという物理的時間変化が重力波やインフラトンの量子揺らぎにエネルギーを与えて、それらを「実体化」する。

宇宙背景輻射の揺らぎの説明も、ホーキング輻射という単語を用いることなく、できる。

今回のBモード観測発表も、宇宙背景輻射の揺らぎの起源がインフレーション宇宙における「ホーキング輻射」とする説明に対して疑問視をしてきた研究者の考えを変えることはないだろう。

この点を補足しておく。

今回の観測結果が他の観測グループによって今後確認された場合でも、ホーキングが「ホーキング輻射」に関する貢献でノーベル賞候補に加わるのは難しいかもしれない。

 

追記(2014年3月25日):

T_NAKAさんのブログの「インフレーションと原始重力波の最初の直接的な証拠(2)」(http://teenaka.at.webry.info/201403/article_24.html)という記事で、私のここでのコメントを取り上げて下さっているので、補足をしておこう。この中で指摘されているように、ドジッター時空でのホーキング輻射は、むしろウンルー効果と呼ぶべき現象だ。例えば簡単のため3次元ミンコフスキー時空に埋め込まれた2次元ドジッター時空を考えよう。その曲面は-T^2+X^2+Y^2=(1/H)^2という方程式で記述される。そしてその曲面上の計量はds^2=-dT^2+dX^2+dY^2で与えられる。ドジッター時空内の観測者の慣性運動として例えば(T(τ),X(τ),Y(τ))=(sinh(Hτ)/H, cosh(Hτ)/H,0)を考えると、平坦な3次元時空を確かに一様加速度していることが分かるだろう。(ここでτは観測者の固有時間。)

ブログでは「ともあれ、この「場の量子揺らぎは自由運動をする観測者のスピードに依存しなくなる」というのがイケないようなのです。ブラックホールのホーキング輻射も一様加速する観測者のアンルー効果も、これらが生じない観測系があるのですが、「ドジッター宇宙ではそういう観測系がないということになるので、何か変、、」ということらしいですね。」とコメントを頂いている。私が意図していたのは以下のことである。重力が働いて宇宙の構造形成を起こす揺らぎのタネは、質量やエネルギーを持っている必要がある。しかしウンルー効果での熱揺らぎはこれを持たない。この意味でウンルー効果の熱揺らぎはまだ実体化していないのだ。同様にドジッター時空中のホーキング輻射もエネルギーを持たない。もし持っていたら異なるスピードの観測者は別なエネルギー密度分布をみるはずだが、このホーキング輻射は観測者のスピードに依らないのである。つまりこのホーキング輻射は、重力が働いて構造形成を行う能力をまだ持っていない「実体」のないものなのである。実際にはインフレーションが終わる時刻に、場の量子揺らぎにエネルギーが注入されて、本当の揺らぎが現れてくるという話なのだ。

 

 

 

 

 

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量子論の弱値(weak value)のパイオニア達との邂逅

今日はテルアビブ大学で、相対論的場の理論における量子エネルギーテレポーテーション(QET)のセミナーをさせて頂いた。

呼んでくれた友人のベニが昨夜体調を悪くして今日は欠席というハプニングもあったが、聴衆の皆さんの反応はとても好意的で、QETの詳細もよく理解してもらえたと思う。

その聴衆の中にアハロノフさんとともに量子論における弱測定(weak measurement)と弱値(weak value)の概念を提案して発展させてきたバイドマンさんがいて、彼も熱心に話を聞いてくれていた。

セミナー後彼の部屋で、自分が長年持っていた弱値のたくさんの疑問をぶつけることができた。

そして彼とアハロノフさんの弱値の捉え方には随分と違いがあると強調された。

前ふりとしてバイドマンさん自身はバリバリの多世界解釈派であるが、アハロノフさんは彼ほどの多世界解釈の支持者ではないとのこと。

そしてバイドマンさんにとって量子論の実在は波動関数(量子状態)だけであって、弱値は波動関数のpropertyにすぎないと言われた。

一方アハロノフさんは弱値もある種の実在とするので、たくさんの共著がある二人の間でも弱値の解釈は違っている部分があるとのこと。

そして弱値を物理的実在と捉える場合の問題点を挙げた。

それが自分が考えていた問題点(http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/11/152110)と全く同じだったことには驚きを感じた。

弱値が「弱値らしさ」をもっとも発揮するはずの無限大周辺の値は、事前選択状態と事後選択状態の摂動に関して不安定であり、それを実在と思うのは問題であるというのが彼の(そして自分の)意見である。

なお議論の後で、自分が認識論的な現代的コペンハーゲン解釈やQビズムの支持者であることに変わりないとも伝えた。

しかし時間をかけて彼と実際に話をしたことで彼の考えをより理解できたことは自分にとっては大きな収穫であり、時間を割いてくれた彼に丁寧に感謝の意を表した。

自分の質問に関する議論が一通り済んで、一緒に話を聞いていた彼の若い共同研究者と二人で最近の仕事を説明しだしてくれた頃、唐突にアハロノフさんが部屋に現れた。

彼はアメリカに住んでいるのだが、今回はイスラエルの他の大学でのセミナーのために来ていたらしい。

彼とは初めて会ったのだが、ご高齢にも関わらずエネルギッシュな人であった。

彼が今やっている仕事も情熱を込めて説明してくれた。

(ただせっかくのご好意だったのに、その未発表の結果に対する彼の興奮が自分にも伝搬するには時間が足りなかったようだ。)

自分も招かれている来週の国際会議にバイドマンさんとアハロノフさんも出席するかもと言っていたので、また質問をする機会があるかもしれない。

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