Quantum Universe

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QMKEKの弱値セッションを踏まえて。

二年に一度行われている高エネルギー加速器研究機構KEK)で量子論の基礎的テーマを扱う研究会、QMKEK。

http://www-conf.kek.jp/QMKEK/

今年は3月10日、11日の二日間。

初日は「弱値」のセッションがあった。

私と言えば、長い間に何度も細谷さんから弱値の説明を受ける機会がありながら、私の理解が至らないためか、どうしてもそれがpromisingなテーマと感じることができなかった。

特にアハロノフのような「弱値は量子力学における実在の概念を広げる。」という感じの主張には、"even not wrong"という気さえする。

もちろん弱値は実験で測定できる。これは間違っていない。

が、電子スピン等とは異なり、弱値はただ一回の測定で決定できるものではない。

多数回の実験で初めて浮かび上がる統計的性質である。

この点で弱値は(自明な位相を除いた)波動関数やS行列成分、粒子の質量、電荷などと全く変わらない概念である。これらも多数回の測定で実験的に決定される量だ。

つまり実験で"測れる"と言ってもいろいろである。

"測れる"からと言って自動的に実在性のあるものと判断されているわけではない。

質量、電荷はこれまでも普通の実在の対象として捉えられてきたが、S行列や波動関数を実在だと言うと多くの人は疑問に思うだろう。

だから弱値が実験で測れる量だからと言って、それが実在の拡張という革命的アイデアに直接つながるとは思えない。

普通のセンスで言うならば、弱値は質量や電荷の類ではなく、S行列や波動関数の類。

弱値に関心を払わない研究者の多数派の中には、私と同様、このように見ている人もいるかもしれない。

今回お話し頂いたホフマンさん、細谷さん、筒井さんは弱値の研究を流行として見ずに、真摯に深堀りをされている本格派の研究者である。

書き飛ばしのような質の悪い弱値の論文があちこちから出ている状況の中、彼らの論文はいつも何か考えさせるものを含んでいる。

3人の中でもホフマンさんの弱値に対する立ち位置は、自分にとっては理解しやすいものだった。

細谷さん、筒井さんは3人の中では彼が一番大胆な弱値解釈をすると言うが、自分は実は彼がもっとも保守的であると思う。

射影演算子Pの弱値〈P〉w=〈Φ|P|Ψ〉/〈ΦIΨ〉を基本とし、それをcomplex probabilityと呼びながらも相対頻度やなんらかの拡張された実在性のある対象という見方を明確に放棄している。

〈P〉wの集合は、測定に対する物理量の(普通の意味の)確率分布の間の関係性を与える理論の骨組みの数学的ツールである、という解釈のようだ。

一般的な確率の数学的性質を満たしつつ量子力学の観測量の関係性を生み出す萌芽的な量でありながら、それは生じる現象の「傾向」や所謂「確率」ではないと断言する立場は、アハロノフなどの立場に比べてすっきりしている印象。

また彼と話して分かったことは、彼自身は実在論的に弱値を論じるのではなく、むしろ認識論的。

 一方、細谷さん、筒井さんはそれぞれなんらかの意味での弱値の実在論を目指し続けている模様。

 

細谷さんが最近日経サイエンスに書いた記事の、弱値の実部Re〈P〉wを現象が起こる「傾向」と解釈する可能性[1]に、この会議でも細谷さんは言及した。

しかしこの解釈を実在論的に試みようとすると、実際にはうまく行かない気がしている。

プラス無限大のRe〈P〉wは、その現象が起きる傾向が非常に強いという意味。

逆にマイナス無限大だと、ほとんど起きない傾向ということである。

しかし定義自体に起因する弱値のヒルベルト空間における不連続性が、このような理解をとても不自然なものにする。

ヒルベルト空間においてプラス無限大のRe〈P〉wを与える事前選択状態|Ψ1〉と事後選択状態〈Φ1|の近傍には、必ずマイナス無限大のRe〈P〉wをとる事前選択状態|Ψ2〉と事後選択状態〈Φ2|が存在する。

|〈Ψ1|Ψ2〉|∼1, |〈Φ1|Φ2〉|∼1という状況なのに〈Φ1|Ψ1〉∼+0、〈Φ2|Ψ2〉∼-0という符号反転が生じて、「傾向」が〈Φ1|と|Ψ1〉の場合に最も有り得そうと判断されるのに対して、〈Φ2|と|Ψ2〉の場合には最も有り得なさそうと判断される。

事前(事後)状態の選択のちょっとしたブレが判断を180度ひっくり返すのは、実在論としてはとても不味い気がするわけだ。

例えば「月は実在と感じる。」と言う場合、月に小さな隕石があたって多少形や軌道が変わっても影響の受けない、摂動に対して安定な性質を感じ取っているからに違いない。

ちょっとしたブレ(摂動)でガラッと変わるものには実在性があるとは感じない。

なんらかの実在論的拡張概念を導入したければ、少なくともヒルベルト空間中での連続性は仮定したいところである。

同様の問題は射影演算子Pに限らず、一般のオブザーバブルAの弱値を実在とみなしたい立場でも起きる。

 

〈P〉wの解釈に対する1つの鍵は、〈P〉w=0,1,∞の3つの値が解釈の上で特別な意味を持つのかという質問に答えることだと思っている。

細谷さんの立場では、0と1は特別な位置づけは必要としないように見えるが、プラス無限大とマイナス無限大は重要。

しかしアハラノフの立場は違う。

量子チェシャ猫に関する論文[2]では、〈P〉w=0である場合に対応する現象は起きないとアハロノフは解釈する。

このように〈P〉w=0を特別扱いする理由として、弱値の絶対値|〈P〉w|を「傾向」と解釈している場合が考えられる。

この場合は弱値の実部と虚部を対等に意味づけしていることになり、実部だけを採用する立場とは異なっている。

解釈の上で〈P〉w=0が特別な意味を持つならば、射影演算子の完全性を考慮すると〈P〉w=1も特別で、その現象が必ず起きると解釈するのが自然。

しかし今度は弱値の絶対値|〈P〉w|が無限大になる場合の解釈の割り振りがよくわからなくなる。

確実に現象が起きる場合は〈P〉w=1に対して既に割り振ってしまったので、|〈P〉w|=∞に対して「確実に起きる」という解釈を与えることはできない。

結局、〈P〉wの値全体に実在論的解釈を割り振る、うまい整合的な方法は存在しないとも考えられる。

弱値の実在論的解釈論がこれからもeven-not-wrong argumentから脱することができないだろうと自分が感じる理由は、ここにもある。

Reference:

[1] 細谷暁夫, 日経サイエンス2014年1月号, 特集:量子世界の弱値
「光子の裁判」再び, "波乃光子は本当に無罪か?", 特別WEB付録"ヤングの2重スリットの実験と「弱値」".

http://www.nikkei-science.net/uploads/201401_034free.pdf

[2] Yakir Aharonov, Daniel Rohrlich, Sandu Popescu, Paul Skrzypczyk, "Quantum Cheshire Cats". http://xxx.yukawa.kyoto-u.ac.jp/abs/1202.0631

 

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