Quantum Universe

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デコヒーレンスは多世界解釈の観測問題を解決しているわけではない。

 

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デイビッド・ドイッチュがあちこちで「量子コンピュータが圧倒的に速いことは多世界解釈が正しい証拠」と宣伝しており、またそれを扇動的に扱う科学記事も人気を集めているため、世間では多世界解釈は完成された量子論解釈と誤解している人がこの10年くらいで増えてしまったように思う。

多世界解釈では宇宙全体を記述するただ1つの波動関数が実在しており、図1のように時間とともに様々な宇宙の量子的線形重ね合わせに進化する。

ここに出てくる各宇宙に異なる計算作業を分担させて巨大な並列計算を量子コンピュータは行うために古典コンピュータに比べて指数関数的に速いのだとドイッチュは説明するのだ。 

また他にも、コペンハーゲン解釈で出てくる波動関数の収縮はシュレーディンガー方程式では記述できない"謎"の過程であり、それはコペンハーゲン解釈を超えて説明されるべきだという主張を繰り返す人もいる。

多世界解釈では宇宙全体を記述する実在論的でかつ決定論的な波動関数を1つ考えるだけだ。

宇宙の外部には観測者がそもそも存在しないので、その波動関数を収縮させる観測者は存在しない。

だからコペンハーゲン解釈に出てくる波動関数の収縮という"欠点"のない良い解釈と言うのである。

では本当に多世界解釈はこれまでコペンハーゲン解釈が置かれていた標準解釈の座に据えられるようになり、今後の新しい物理学の記述に不可欠になるものだろうか。

実はそこには大きな過剰宣伝があるのだ。

きちんと量子力学の基礎を押さえている研究者達は、多世界解釈自身が首尾一貫した体系として完成されていない不備だらけの理論であることを十分に知り尽くしている。

しかもその不備の1つは小手先で解決できる類ではなく、多世界解釈が本質的に抱えている不可避な欠点に由来している。

決定論的な宇宙の波動関数から、人間の意識が時々刻々確率的にただ1つの体験を選択し、経験しているという事実を導くことが不可能だからである。

これをしたければ、最初に宇宙全体の波動関数から「人間が意識を持つこと」を科学的に説明することが必要になる。

そしてその創発された意識が、各時刻において多数ある可能性の候補の中から確率的に「1つを選択して」経験することを説明しなくてはいけない。

つまり意識の創発及び存在の合理的検証が求められるのだ。

しかしこれは科学的に反証可能な問いではない。

ここで改めて考えてみよう。自分以外の人間が全く自分と同様の意識を持って、時々刻々1つの体験をし続けていることを科学的に検証することができるだろうか。

自分が持っているリンゴを手放すと落下して床に当たり、ゴンという音を発したという体験をしたとしよう。

それを見ていた隣の人間に同じ体験をしたかを尋ねて「確かにしたよ。君が手放したリンゴは落下して床に当たり、ゴンという音をたてた。」と答えたからと言って、その人間に意識があるかは分からない。

またその人間に今どんな感情を持っているのかを聞いても、本当に意識を持っている存在であることを検証できない。

実はその"人間"がよくできたアンドロイドで、最初からインストールされたプログラムで質問などの外部の刺激に自動応答しているだけかもしれないからだ。(現時点ではそのようなアンドロイドは未完成でも、原理的には可能であろう。

https://www.youtube.com/watch?v=GIwwE8TEZ4I

つまり「他の人間が自分と同様に意識を持っていること」は「アンドロイドが

自分のような意識を持たないこと」と同じく科学的には検証できないことなのだ。

科学では、対象に刺激(質問)を与えたときの反応(応答)をいろいろ集めて解析できるだけだ。

しかしそれでは他の人間が意識を持っている証明や、アンドロイドに意識が生まれない証拠を永久に示せない。

つまり多世界解釈派の研究者が探し求めているものは、本質的に科学の範疇を超えているのだ。

(これ以外にも「手で」各宇宙の尤もらしさを表す測度を与えて、観測確率のボルン則を出している点等も、エヴェレットのオリジナル版"多世界解釈"に対する批判の種になっている。)

 

一方標準的なコペンハーゲン解釈では、健全な科学として量子力学を記述することが可能だ。

つまり意識の問題は概念の混乱が起きないように綺麗に切り分けされて、公理化されているのである。

「全ての人間には独立な意識がある。」という公理を組み入れても、他の公理と矛盾を全く起こさない理論構造を量子力学は持っている。

この構造自体がとても非自明であり、量子力学が「使える科学」になるポイントだ。

 観測対象と安定した意識を持っている観測者を合理的に分離できている環境が確保された時「だけ」、量子力学は定式化されるというのがコペンハーゲン解釈なのだ。

そして波動関数は観測者が持っている知識に依存する情報概念であり、物理的実在ではない。

だから波動関数の収縮は測定を通じた観測者の知識の増加に過ぎないのだ。

多世界解釈のような科学的範疇外の問題に悩む必要はない。

(このあたりは下記を参照:

波動関数の収縮はパラドクスではない。 - Quantum Universe

認識論的な量子力学についてのコメント - Togetterまとめ

本題に入ろう。

多世界解釈ではデコヒーレンス観測問題を解決していると思う人もいる。

しかしこれは誤解に過ぎない。

宇宙全体の波動関数において他の自由度を全部無視して(数学的に言えば部分トレースをとって)観測者の記憶領域だけの量子状態を求めれば、それはほぼ古典的状態の確率混合になっている。

これがデコヒーレンスである。

分岐した世界の間の量子干渉がなくなる、または干渉が観測されなくなるとも表現される。

しかしこれは先の「人間の意識が時々刻々確率的にただ1つの体験を選択経験する」ことを導いたことにはならない。

一つの理由としては、東大の清水明さんもよく強調するように、混合状態の分解の仕方が一般に一意でないことが挙げられる。

例えば電子スピンz成分のアップ状態|+z>とダウン状態|-z>の確率50%での混合状態は

ρ=1/2 |+z><+z| +1/2 |-z><-z|

で与えられる。

しかしこれはx成分やy成分の固有状態でも展開できて、やはりそれぞれの状態に対して50%混合になっている。つまり

ρ=1/2 |+x><+x| +1/2 |-x><-x|

=1/2 |+y><+y| +1/2 |-y><-y|

=1/2 |+z><+z| +1/2 |-z><-z|

が成り立っている。

従ってデコヒーレンスが完全に起きても、どの軸の観測が行われたか全く定まっていない例になっているのだ。

様々な純粋状態の確率混合で生成される量子状態が他の純粋状態の確率混合としても書ける例は無限にある。

また縮退のない混合状態ρをデコヒーレンスの結果として得たとしても、なぜその多数の分解成分に含まれる「ただ1つの経験」が選らばれて時々刻々人間は意識できるのかが説明されていない。 

安定した意識を保持する人間はただ1つの事象をそれぞれの時刻に生々しく体験しており、多くの異なる体験や記憶の確率的分布や重ね合わせを感じない。

コヒーレンス多世界解釈における観測問題の本質的困難を全く解消していないのだ。  

もし仮に世界が決定論的な古典力学だけで記述できていたのなら、確定した初期状態から世界が時間発展をする場合には各時刻でどの部分系も確定的な「ただ1つの」状態にある。

部分系の1つである人間の物理的自由度でも同様だ。

だから意識がただ一つの経験をそれぞれの時刻でしているという事実に、深く悩むことはなかったのだ。

しかし量子力学では状況が全く異なる。

ベルの不等式の破れによって実験的にも局所的な実在論が否定されてしまっているからだ。

例えば電子スピンのベクトル3方向成分の値は各時刻で決して決定論的には定まらない。

量子力学の最も基礎的なレベルでの記述は確率に頼らざるを得ない構造をしている。

このことから、なぜ意識が各時刻でただ1つの体験だけを認知するのかという問題が本質的になるのだ。

もしドイッチュの言うとおりに多世界(パラレルワールド)が本当に「実在」ならば、それは観測されるべきではないのか。

なぜ宇宙の時間発展とともに発生した人間意識が相反する歴史をもつ2つの実在世界や、もっと多数の実在世界を同時に認知できるように適合進化しなかったのか。

それは単にまだ人間の進化の時間が足らないだけなのか。

コヒーレンスでは説明のつかないこれらの問いをドイッチェは答えるべきだが、その合理的な解を彼は与えない。

 

多世界解釈を宣伝して有名にしたホィーラー自身もずっと意識の問題に悩む羽目になった。

図2は彼が晩年書いていた宇宙の概念図である。

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宇宙には外部観測者がいない。

宇宙自身が宇宙(Universe)を観測する。それを象徴しているのが「U」(宇宙)を観測している図の「眼」である。

波動関数が収縮をしないことを保証するユニタリー性(Unitarity)と、宇宙自身が宇宙を観測することがどう整合するのかを結局ホィーラーは明示的に解くことはできなかった。 

しかし波動関数を情報概念と捉える認識論的な現代的コペンハーゲン解釈では、ホィーラーが悩んだこの問題はそもそも存在しないのが大きな特徴だ。

現代的コペンハーゲン解釈は、意識の有無を判定する問題の部分を自家撞着が起こらないように鮮やかに切り分けることにより先のホィーラーのトートロジーを排除した、首尾一貫した理論なのである。

なお量子コンピュータが指数関数的に速いスピードで計算できる例は、現在ごく限られたものしか知られていない。

しかしそれらの速い量子計算の例は全てコペンハーゲン解釈だけで説明できる。

そのため実際には「多世界解釈が正しいから量子コンピュータは速い。」というドイッチュの説明を納得しない研究者が大多数なのである。