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Quantum Universe

量子情報物理学を中心とした話題で、気が向いたときに更新。ツイッター: https://twitter.com/hottaqu

量子論で、自分の脳を自分で観測するということ。

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コペンハーゲン解釈では、測定者と測定対象の量子系を「合理的に」分離できたときに初めて、量子力学は使える形で定式化されていると、これまで説明してきた。

(下記まとめを参照。http://togetter.com/li/758266

 

例えば図1は1つの量子的なスピン系を外部観測者が測定をする設定であるが、これは合理的分離が実現している典型例である。

 

しかし自分の脳を、いろいろな機器を用いて「自分自身で」モニターする場合は、この合理的分離に当てはまるのかという質問も出ることがある。

例えば、自分の脳の量子的状態重ね合わせを、脳からの信号を取り出しながら、自分自身で観測できるのかという問題だ。

答えから言うと、自分の脳の量子的重ね合わせ状態は自分では観測できない。

もし可能であれば、時々刻々1つの体験だけを感じている自分の意識と、量子的重ね合わせに含まれている他の体験との間で辻褄が合わなくなるためだ。

自分自身は1つの体験の記憶しかないのに、自分の脳のモニター上にはある確率で実現していない他の体験の結果が現れてしまう。観測されたその脳には、他の記憶が刻まれている。これは明らかな矛盾である。

量子力学で自分の脳を連続的にモニターしても、それは図2のように全く古典力学的振る舞いをするマクロな対象として認識されるだけである。

 そのデータから読み取れる情報は、自分の意識が各時刻に経験した唯一つの事実と全て整合してしまう。

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ただ、ある種の人間に対しては脳の量子的重ね合わせのために記憶や意識が不安定となり、2つ以上の異なる体験を同時にしているという主張もあり得るだろうが、その真偽を定める方法は科学の範疇の中に存在しない。

再現可能性がある健全な科学としての認識論的な量子力学においては、安定した意識と記憶をもつ観測者がいることが大前提である。

その場合だけ量子力学は高い能力を発揮するが、そうではないケースに対しては、量子力学は単に無力になるだけだ。

 

ただ、図2の脳の極一部分を構成している1つの電子などは、量子力学的対象として自分自身でもモニターできる。

マクロな脳の活動の自由度に対してだけ、古典力学的振る舞いが確立していればいいので、それとは関係のない脳のミクロな系の量子的振る舞いは、自分でも観測できるであろう。

また図3のように、事故や手術により右脳と左脳の間の接続を切られてしまったときでも、それぞれの脳に独立な意識が芽生えることもあり得る。

この場合には、様々な外部モニターを用いれば、一方の脳が他方の脳の量子的重ね合わせ状態を観測できる可能性も原理的レベルではある。(ただ飽くまで、原理的思考実験レベルであり、実際の実験はほとんど不可能である。)

 

f:id:MHotta:20160228130050j:plainこのように認識論的なコペンハーゲン解釈では、設定や環境をきちんと指定することによって、自分の脳を自分でモニターするときに量子性を観測できるかについて、具体的な答えを与えることは可能である。

一方、実在としての宇宙の波動関数しかない多世界解釈では、状況は違う。

その解釈論の中では、自分で自分の脳を観測するこの問いに答えるためにも、意識の創発自体を導く必要があるが、これは反証可能な科学的な問題になっていない。

(このあたりは下記ブログ記事を参照。

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2015/02/04/074443

多世界解釈では波動関数の収縮という概念がないため、状態も線形的に時間発展するのみだ。

このため、1つの体験を選択するという射影測定などの非線形的現象は説明できていない。

従って図4のように、多世界解釈では、自分自身で自分の脳の重ね合わせ状態を観測できるかについて答えようがないのである。

 

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【量子とドクターY】 (出会い編)

その頃、病理医のY氏は、多忙をきわめていた。

いつもの業務に加えて、新しい研究を立ち上げ、それをもとに論文を書くつもりであった。

その日も、実験に協力してくれるアルバイトに集まってもらい、あるテーマに沿ったデータを彼らから収集するはずだった。

身長、体重、そして血圧の高いほうの値だけを調べれば、今回の研究で知りたいことは十分な精度で確定する。

そこでY氏は、この3つの数値を体の状態と呼ぶことにし、順番に測ることにした。

 

その集まってくれたバイトの中に、あの不可解な彼女、量子が、混じっていたわけだ。

 

その外見はまるでモヤのかたまりのようでもあり、目を凝らしても蜃気楼のように揺らいで姿が良く見えない。

彼は量子を測定室に招き入れると、身長、体重、血圧をそれぞれの装置で測ろうとした。

どこが頭部の頂きかも分からなかったが、身長計に載せるとパッと頭が現れた。

身長計は180cmを示している。

それを自分のノートに記入して、彼女を身長計から降りさせると、得体のしれない笑みとともに、量子の頭部はふたたびモヤの中に消えさってしまった。

 

「なんだコイツは。」と、腹のなかでおもいつつも、体重計の上に乗ってもらうと、グラグラと異様に揺れていたその目盛りは、突然凍ったように65kgのところでピタリと止まった。

 

Y氏はそれを書き留めると、体重計から量子に降りてもらうのを忘れたまま、量子の腕「らしき」ところへと血圧計を当てようとした。

その瞬間だった。

体重計の針が狂ったように左右に振れ出し、しまいには針がはずれて壊れるのではないというぐらいの異音を発した。

 

驚いたY氏は、血圧計を付けないまま、おもわず後ずさった。

 

すると量子が乗っている体重計の針は、またピタっと止まった。

 

何かいけないことをしたかのような不思議な罪悪感が、Y氏には涌いた。

 

が、気を取り直して、量子に体重計から降りてもらい、再び血圧計を腕らしく思える部分に取り付けると、上の血圧は120だった。

それをノートに書き留めると、Y氏は何か落ち着かなくなり、もう一度身長を測ってみようという気になった。

 

再度身長に乗った量子。そのモヤから現れた頭部は明らかに前よりずっと下に現れた。

 

身長160cm。

さっきは180だったはずだ。

(おかしい。)

量子の意向など構いもせず、Y氏は何回も身長、体重、血圧を繰り返し測り続けた。

機械は壊れていないはずなのに、その数値はどれも全く違うでたらめな値を出してくる。

 

「いや、部分的には法則性がある。」 Y氏は気づいた。

 

身長、体重、血圧のうち、同じ量を連続で測ると必ずその直前の値に一致していた。

身長が176cmだったら、直後に身長を測りなおしても、必ず176cmだった。

身長は確定した値を持っているように見えた。

 

しかし体重か、血圧をその後に測ってから、再度身長を測ると今度は別な数値が出てくる。

何回繰り返してもいいのだが、連続した測定の場合だけ、値が1つに固定されるのだ。

 

これと同じ法則性は、体重測定、血圧測定の場合でも、確認された。

Y氏は驚嘆し、思わず声に出してしまった。「こいつは何者だ。」

 

猛烈な好奇心に駆られ、Y氏は予定していた研究テーマを捨て、量子の不思議な挙動を調べることを決心した。

量子以外のバイトを全員返して、しばらく黙り込んでY氏は考え抜き、まずは量子の体の「状態」の特徴付けをしなくては、と思った。

 

量子の状態は、決まった身長、体重、血圧を同時にとることはない。

仕方なく、この奇妙な事実は、受け入れることにした。

 

そして「身長を測ったときに180cmになる状態」とか「体重を測ったときに77kgになる状態」とか、「上の血圧を測ったときに129になる状態」とかと、長ったらしいが、測定状況を細かく指定することで、量子の「状態」とすることにした。

 

問題は「身長を測ったときに180cmになる状態」と、「体重を測ったときに77kgになる状態」とかの関係だ。

 

Y氏は、回転の速いその頭で、延々といろいろな可能性を考え抜くのであった。

(続く)

 

 

量子テレポーテーションでアリスとボブの間のどこを量子情報は飛んでいくのか。

量子テレポーテーションは、一般の方から見てやはり不思議な現象だろう。

この世の中の全てのモノの本性である、量子情報。そしてその集まりとしての量子状態|ψ〉(または波動関数ψ(x))を、ランダムに吐き出された測定結果を遠隔地に伝えるだけで転送することが可能だ。

以前書いたブログ「量子テレポーテーションは、本当はテレポーテーションではないのか。 」でも、その概要は触れた。

そこでも説明したように、送り手のアリスとっては、量子情報が瞬間的に移動したように見える。

(ただその量子情報を受け手のボブが使えるようになるには、光速度以下で届く測定結果を知る必要があるが。だから因果律は破れない。)

ボブにとっても、テレポーテーションが終わってから自分のスピンの過去の状態を推定すると、測定結果が届く前から、未知の状態|ψ〉に依存したある純粋状態だったように見える。

更にアリスが測定する前からその純粋状態だったようにすら思えるのだ。

つまり量子情報は超光速で先回りして、ボブのスピンに入っていたように考えることもできる。

しかし量子状態を情報の束に過ぎないとみなすコペンハーゲン解釈では、全く問題が生じないことも先のブログ記事で説明した。

今回、説明しようとすることは、その量子テレポーテーションという手品のタネである。

このマジックの中でアリスからボブの間の空間を伝わるのは、|ψ〉に依存しない確率分布をする2ビットの古典情報(測定結果)だけだ。

それなのに、いつのまにかボブのスピンは|ψ〉の情報を持っている。

その仕掛けの舞台裏を、新たな登場人物のクリスからの視点で見てみよう。

 

再び2準位スピン系の量子テレポーテーションを例にして考える。

アリスは謎の人物から渡された未知の量子状態|ψ〉にあるスピン1を持っている。

その状態はスピンの回転軸が上を向いている状態|+〉と、下を向いている状態|-〉の量子的な重ね合わせにはなっているはずだ。ただアリスやボブは、その重ね合わせの複素係数を知らない。

f:id:MHotta:20160208115748j:plainその未知の状態|ψ〉をアリスはボブに壊すことなく転送しなくてはいけない。

単にスピン1を観測して、得られた|ψ〉の情報をボブに知らせればいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。

しかし古典力学と違って量子力学では、1つしかないスピンを測っても|ψ〉はほとんど確定しないし、更に悪いことにその観測によって状態|ψ〉が壊れてしまう。

そのような難しい要求であるが、共有していた最大量子もつれ状態にあるスピン2とスピン3を使って、|ψ〉の中身を知ることもなく、アリスとボブはこの転送をやってのける。

もちろんスピン2と3のこの状態は、|ψ〉に依存していない。

2つのスピンの最大量子もつれ状態には連続無限個の種類があるけれど、その中から互いに直交する下記の4つのベル状態を考える。

f:id:MHotta:20160208115810j:plainそしてアリスがもつスピン2とボブがもつスピン3は、最初はこのIという名前のついたベル状態だったとしよう。するとテレポーテーション前の最初の状況は図3のようになっている。

f:id:MHotta:20160208115826j:plain(ここで各ケットべクトル|⋅〉に添えられている数字は、その状態にあるスピンを指定している。)

アリスの領域には未知状態|ψ〉のスピン1と、ボブのスピンともつれているスピン2。そして、その2つを観測する測定機と、その結果をボブにつたえるスマホが置かれている。

ボブの領域もスマホがあり、スピン3とそれに磁場をかけられる装置もある。

さてテレポーテーションの構造はすでにこの段階で見えている。

図4のように、この3つのスピンの合成系の初期状態は、4つの異なる状態の量子的な重ね合わせだからだ。

f:id:MHotta:20160208115847j:plainそれぞれの状態で、特にアリスのもっているスピン1とスピン2は図2の最大量子もつれ状態(ベル状態)のどれかになっている。一方ボブのスピン3は、各状態において既に|ψ〉依存性をもっているように見える。数式で書けば、下のようになっている。

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しかしこれをみて、最初からスピン3は|ψ〉を知っていたと思ってはいけない。

アリスの領域の2つのスピンの自由度を無視(数学的には縮約)して得られるスピン3の状態は、単位行列に比例する最大エントロピー状態であり、|ψ〉の依存性は実際にはない。

だからこの段階でボブがいくらスピン3を測っても決して|ψ〉の情報を知ることはできない。

この"テレポーテーションマジック"では、アリスがまずスピン1とスピン2を測って、図2の4つの状態のうち、どれになっているかを測定機を使って確かめる。

f:id:MHotta:20160208115929j:plain測定後、スピン1とスピン2はどの場合でも、|ψ〉に依存しない最大量子もつれ状態になっている。また連続無限個の種類がある純粋状態の中から任意に1つの|ψ〉を選んでも、出て来る結果の値の確率は常にどれもp=1/4であり、全くランダムな確率分布をしている。アリスにとっては、もう自分の領域のどこにも|ψ〉に関する情報が見つからない。そして彼女にとっては、知識の増加としての波動関数の収縮により、その量子情報は既にボブのスピン3に飛んでいる。

普通の場合、情報は何かの移動する物体に刻まれて、アリスとボブの間の空間のある経路を通って伝わるはずだ。

ところが実際にはどこにも|ψ〉の情報が通過した形跡がないから、量子テレポーテーションは確かにテレポーテーションに見えるわけだ。

図7のように、その後アリスはその2ビットの古典情報をスマホを通じてボブに伝える。

f:id:MHotta:20160208115948j:plainそしてボブはアリスの結果に応じて向きを選択して磁場をスピン3にかける。その結果図8のようにスピン3の状態は100%の確率で、最初の未知状態|ψ〉になる。f:id:MHotta:20160208120010j:plain(図7、8では、出力された結果がxの場合で書かれている。)

アリスの測定直後からアリスの領域のどこにも|ψ〉が見つからないのは、やはり不思議な手品のような現象だ。

実は、舞台裏のクリスには、そのタネがよく見えている。

量子力学はマクロな系でも成り立つと考えられるので、クリスにとっては、スピンだけでなく測定機やスマホ、そしてアリスやボブまでも、量子的な系になっている。

量子テレポーテーションの各ステップも、その量子系で起きるユニタリーな量子過程に過ぎない。

そしてアリスの測定終了直後、クリスにとって、アリスの領域にあるもの全ては、図9にある4つの異なる歴史をもつマクロな量子状態の重ね合わせになっている。

f:id:MHotta:20160208120049j:plainその全体系の状態を数式で表すと、下のように書ける。

f:id:MHotta:20160208120151j:plainこの状態で、ボブのスピン3の自由度を無視(縮約)して得られる、アリス領域の量子系の縮約状態は下記のものだ。

f:id:MHotta:20160208120219j:plainこのアリス領域の状態の重要な特徴は、未知状態|ψ〉の依存性が全て干渉項のみに現れていて、対角成分のどこにもでてこない点にある。

アリスの測定後にその領域から消えたように見えていた|ψ〉の情報は、マジックの舞台裏のクリスから見ると、マクロ系の量子もつれの中へ巧妙に隠されていたのである。

この他の場合でも量子もつれを使うと、各部分系には情報をまったく持たせないまま、情報を壊すことなく完全に隠すことは可能だ。ブログ記事「量子エンタングルメントと時間の矢 」の中でも、そのような他の例が紹介されている。

図11の数式の干渉項の最後の部分に出ている|ψ〉に対する2点相関関数は、どれも3つのパウリのスピン行列の|ψ〉での期待値に一致することも、スピン行列の性質からすぐわかる。

そしてこの3つの期待値がわかれば、純粋状態に対する下記のブロッホ表示を使って、|ψ〉は完全に定まる。

f:id:MHotta:20160208120234j:plainだから図11のアリス領域の量子系の状態を何回も用意して調べれば、その3つの期待値は測定され、そして|ψ〉が再現されてしまう。

このことは、測定直後にクリスから見れば、|ψ〉の情報全てはまだアリスの領域に隠されて留まっていたことを意味する。つまりスピン3には全く届いていない。

図13に書かれている干渉項の1つの成分部分のように、干渉項の中に|ψ〉を隠すというトリックだったのだ。

アリス自身が参加している異なる歴史どうしの干渉であるため、決してアリスはこの干渉項を観測することができないという、量子力学の原理に則った究極のトリックである。(アリスは、4つの歴史のうちの1つだけしか、意識できないため。)

 

f:id:MHotta:20160208120252j:plainクリスからみれば、アリスからの情報をスマホで受け取り、その結果に応じてボブが行う磁場をかける図14の操作も、もちろんユニタリー過程だ。

f:id:MHotta:20160208120305j:plain舞台裏からこの過程を見れば、アリスのところから送られた電気信号にもその干渉項部分に|ψ〉の情報が隠されており、因果律に則った光速度以下のスピードでスピン3にそれは届けられ、こっそりと受け渡されていたのだ。

クリスにとっては、図14の操作はスピン3への情報書き込みだけでなく、スピン3と他の系の間にあった量子もつれを解消する「dis-entangler」の役目もしている。

これがクリスの視点からみた、テレポーテーションマジックのタネの全貌である。

ただ強調しておくと、普通の手品とは違い、クリスの視点が正しくて、アリスやボブの視点での描像が間違いだとか、不正確ということではない。

アリスがみる量子状態、ボブがみる量子状態、そしてクリスがみる量子状態は、観測者のもつ系の知識量の差によって、一般には全て違う。

量子力学は観測者毎に定式化されており、どの視点での描像も互いに矛盾を起こさない。

クリスにとっての量子力学では、まったく異なる歴史の間に生じる「干渉項」に隠されて量子情報は空間を伝達し、アリスにとっての量子力学では、確かにアリスが測定した瞬間に、量子情報は既にボブのスピンに飛んでいる。

アリスの見方でも、クリスの見方でも、量子テレポーテーションの描像は日常生活とかけ離れているものだが、それぞれ間違いではない。

これが、量子力学自体の深さを示しているところなのだ。

ペリメータ理論物理学研究所でのウンルーさんの古稀祝い

昨日までカナダのペリメータ理論物理学研究所でウンルーさんの70歳を祝う国際会議があった。

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彼の人柄もあって、大変暖かい集まりになった。 

 

初日の最初の講演は、一般相対論の教科書でもお馴染みのワルド(Robert Wald)さん。

 

タイトルは”Information Loss”でブラックホール蒸発における情報喪失問題の状況を概観する内容。

 

ホーキングが最初に言った半古典的理論での情報喪失過程に対して、近年異なる可能性がいろいろ考えられていて、それを順番に説明してくれた。

 

重力崩壊の初期に既に量子重力の効果が及んでブラックホール自体が形成されないシナリオであるファジボール(毛玉理論)や、ブラックホール自体は形成されるのだけどホーキング輻射を出して蒸発する途中から量子重力が働いて、地平面に火の壁ができてしまうブラックホールファイアウォール(BH防護壁仮説)をまず説明された。

 

その後同じウェイトで、蒸発の最終局面に量子重力が働き、地平面内部の全ての情報が一気に量子場の零点振動の流れに書き込まれて放出される可能性を論じた我々の論文(M. Hotta, R. Schützhold and W. G. Unruh, Phys. Rev. D91, 124060 (2015) )を紹介してくれた。予期していなかったので驚いたが、嬉しくもあった。

 

ワルドさんの話には、ウンルーさんと同様「良い物理の見方」が沢山含まれており、示唆に富んでいる。そもそも純粋状態が混合状態に移って見える”情報喪失”は、確率をきちんと保存する通常の量子力学でもありふれた現象であり、ブラックホールの場合だけ特別騒いで、正しい基礎理論である量子力学そのものを今の段階で大きく修正するのはいかがなものか、という批判が根底にある。

 

例えばさっきまで部屋の中にいた1つの光子が窓の外に出れば室内の他の物体は純粋状態にはなくなり、混合状態になる。その光子がその後どこにいったかのかが、我々にとってそんなに重要なのかというウンルーさんがいつも言っている話と同じ態度だ。

 

量子力学はこれまで実験的に破れが見えたことのないとてもいい基礎理論なのだから、ブラックホール蒸発を考える上でも、それを破るのは曲率が発散する時空特異点等の最小限にしたほうがいいというのがベースにあるわけだ。

 

次に講演をしたオッペンハイム(Jonathan Oppenheim)さんとは今回初めて会ったが、ブレイクやランチでいろいろお話しして、すっかり馴染みになった。彼は元はウンルーさんの学生で、イギリスのUCLに移った後は量子情報分野で有名なポーランドのホロデキ(Horodecki)さんと一緒に量子情報熱力学を研究しており、今回もその講演だった。

 

日本の沙川さん達の定式化と随分違う設定をしており、前から理解できないところが多々あったのをいろいろ議論できたのは有益だった。(しかしまだ納得はしていない。)

 

その後も物理として興味深い講演が続いたのだが、印象に残ったのはウォータールー大学の量子計算研究所(IQC)所長のラフラメ(Raymond Laflamme)さんが講演冒頭に語ったウンルーさんの思い出話。

 

彼がウンルーさんのポスドクだった頃、ウンルーさんはとても怖い存在だったというエピソード。議論をしていると、彼の巨体から発せられる地鳴りを伴うような大きな地声で自分の理論の本質的弱点を突かれて、立ち往生するというのが度々だったらしい。

 

(ウンルーさんはいつも直ぐに議論の本質を掴んで、その弱点を見つけてしまう人だ。)

 

ラフラメさんはウンルーさんの巨大さを表現するためいきなり目の前の机の上に登って当時のウンルーさんのモノマネをしてみせ、巨大な熊が「お前はまだ本質を理解していないぞ、しっかりしろ!」と言いながら襲ってくるような、その恐怖感、威圧感を笑顔で語り、会場の笑いをとっていた。

 

ラフラメさんにはこの1月に彼の研究所に滞在させて頂いたときにいろいろお話できたのだが、その時には聞けなかった話だった。

 

その後のウンルーさんを囲むパーティでも彼の研究室出身者達が口を揃えて彼が与える威圧感の大きさを語っていたが、みんなそれを笑顔で語り、今ある自分に大きな影響を与えていると言っていた。

 

彼の研究室での物理の議論には、昔の剣術道場のような厳しさがあったらしい。道場の中では道場主による全く手加減のない真剣な稽古が繰り返されるが、稽古が終わるとウンルーさんの陽性の性格が弟子達を和ませるという日々だったようだ。

 

そんなウンルーさんはそんな弟子達から愛されていたというのがよく伝わった。

 

ウンルーさんをみると思うのは「二流の人は威張るが、一流の人は威張らない」ということ。

 

彼は物理に関しての議論においては威圧感を与えるが、どんな人に接するときも決して威張ったような高慢な態度を見せたことがない。

 

むしろまるで下っ端のように自分であちこちパタパタ動きまわって、人に対して細やかな気遣いをする人だ。

 

だからこそ今回のような温かい古稀のお祝いの集まりをみんながしてくれているのだ。

 

2日目には自分も招待講演をさせてもらえた。お茶大の森川さんと昔やった量子ゼノン効果の研究を最近流行りの意識の統合情報理論(IIT)に結びつける内容だ。

 

シュレディンガーの猫のパラドクスの思考実験において、猫を外から見ていると毒薬をばら撒くトリガーの不安定原子に量子ゼノン効果が働いて崩壊しなくなるのかという話。

そうであれば人間の意識が猫を観測している限り、猫は生き続けるのかというパラドクスを、きちんと量子力学に基づいて解く話であり、教科書にも書いたもの。

 

これは自分の鉄板ネタの1つで自信はあったが、ウンルーさんを初めみんな楽しんでくれたようで良かった。自分の講演にはウンルーさんの実の妹さんと、奥さんのパトリシアさんも参加して聞いてくれて、専門的なことは分からないけど面白かったと後で言って下さった。

 

最終の講演では共同研究者のラフルが、ワルドさんも紹介してくれた我々の論文を話した。量子エンタングルメント(量子もつれ)は粒子とかの物体の間のものは分かり易いが、1つの粒子と真空の零点振動の間にも量子もつれがある事実は、最初なかなか理解しづらい。

 

初めてこの話を聞く多くの参加者も、最初はなかなか理解ができなかったようだが、彼の講演はそれをもみほぐして、彼らを腹から納得させた良い機会だった。

 

他にもいろいろ楽しいことが山盛りだったが、また時期を改めて書くことにしよう。

 

とりあえず最後にパーティで紹介されたウンルーさんと奥さんの1973年の写真を貼っておく。

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彼は最初から巨大熊の体格ではなかったのだ。

 

今回も、とても楽しいウォータールーの滞在だった。

デコヒーレンスは多世界解釈の観測問題を解決しているわけではない。

 

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デイビッド・ドイッチュがあちこちで「量子コンピュータが圧倒的に速いことは多世界解釈が正しい証拠」と宣伝しており、またそれを扇動的に扱う科学記事も人気を集めているため、世間では多世界解釈は完成された量子論解釈と誤解している人がこの10年くらいで増えてしまったように思う。

多世界解釈では宇宙全体を記述するただ1つの波動関数が実在しており、図1のように時間とともに様々な宇宙の量子的線形重ね合わせに進化する。

ここに出てくる各宇宙に異なる計算作業を分担させて巨大な並列計算を量子コンピュータは行うために古典コンピュータに比べて指数関数的に速いのだとドイッチュは説明するのだ。 

また他にも、コペンハーゲン解釈で出てくる波動関数の収縮はシュレーディンガー方程式では記述できない"謎"の過程であり、それはコペンハーゲン解釈を超えて説明されるべきだという主張を繰り返す人もいる。

多世界解釈では宇宙全体を記述する実在論的でかつ決定論的な波動関数を1つ考えるだけだ。

宇宙の外部には観測者がそもそも存在しないので、その波動関数を収縮させる観測者は存在しない。

だからコペンハーゲン解釈に出てくる波動関数の収縮という"欠点"のない良い解釈と言うのである。

では本当に多世界解釈はこれまでコペンハーゲン解釈が置かれていた標準解釈の座に据えられるようになり、今後の新しい物理学の記述に不可欠になるものだろうか。

実はそこには大きな過剰宣伝があるのだ。

きちんと量子力学の基礎を押さえている研究者達は、多世界解釈自身が首尾一貫した体系として完成されていない不備だらけの理論であることを十分に知り尽くしている。

しかもその不備の1つは小手先で解決できる類ではなく、多世界解釈が本質的に抱えている不可避な欠点に由来している。

決定論的な宇宙の波動関数から、人間の意識が時々刻々確率的にただ1つの体験を選択し、経験しているという事実を導くことが不可能だからである。

これをしたければ、最初に宇宙全体の波動関数から「人間が意識を持つこと」を科学的に説明することが必要になる。

そしてその創発された意識が、各時刻において多数ある可能性の候補の中から確率的に「1つを選択して」経験することを説明しなくてはいけない。

つまり意識の創発及び存在の合理的検証が求められるのだ。

しかしこれは科学的に反証可能な問いではない。

ここで改めて考えてみよう。自分以外の人間が全く自分と同様の意識を持って、時々刻々1つの体験をし続けていることを科学的に検証することができるだろうか。

自分が持っているリンゴを手放すと落下して床に当たり、ゴンという音を発したという体験をしたとしよう。

それを見ていた隣の人間に同じ体験をしたかを尋ねて「確かにしたよ。君が手放したリンゴは落下して床に当たり、ゴンという音をたてた。」と答えたからと言って、その人間に意識があるかは分からない。

またその人間に今どんな感情を持っているのかを聞いても、本当に意識を持っている存在であることを検証できない。

実はその"人間"がよくできたアンドロイドで、最初からインストールされたプログラムで質問などの外部の刺激に自動応答しているだけかもしれないからだ。(現時点ではそのようなアンドロイドは未完成でも、原理的には可能であろう。

https://www.youtube.com/watch?v=GIwwE8TEZ4I

つまり「他の人間が自分と同様に意識を持っていること」は「アンドロイドが

自分のような意識を持たないこと」と同じく科学的には検証できないことなのだ。

科学では、対象に刺激(質問)を与えたときの反応(応答)をいろいろ集めて解析できるだけだ。

しかしそれでは他の人間が意識を持っている証明や、アンドロイドに意識が生まれない証拠を永久に示せない。

つまり多世界解釈派の研究者が探し求めているものは、本質的に科学の範疇を超えているのだ。

(これ以外にも「手で」各宇宙の尤もらしさを表す測度を与えて、観測確率のボルン則を出している点等も、エヴェレットのオリジナル版"多世界解釈"に対する批判の種になっている。)

 

一方標準的なコペンハーゲン解釈では、健全な科学として量子力学を記述することが可能だ。

つまり意識の問題は概念の混乱が起きないように綺麗に切り分けされて、公理化されているのである。

「全ての人間には独立な意識がある。」という公理を組み入れても、他の公理と矛盾を全く起こさない理論構造を量子力学は持っている。

この構造自体がとても非自明であり、量子力学が「使える科学」になるポイントだ。

 観測対象と安定した意識を持っている観測者を合理的に分離できている環境が確保された時「だけ」、量子力学は定式化されるというのがコペンハーゲン解釈なのだ。

そして波動関数は観測者が持っている知識に依存する情報概念であり、物理的実在ではない。

だから波動関数の収縮は測定を通じた観測者の知識の増加に過ぎないのだ。

多世界解釈のような科学的範疇外の問題に悩む必要はない。

(このあたりは下記を参照:

波動関数の収縮はパラドクスではない。 - Quantum Universe

認識論的な量子力学についてのコメント - Togetterまとめ

本題に入ろう。

多世界解釈ではデコヒーレンス観測問題を解決していると思う人もいる。

しかしこれは誤解に過ぎない。

宇宙全体の波動関数において他の自由度を全部無視して(数学的に言えば部分トレースをとって)観測者の記憶領域だけの量子状態を求めれば、それはほぼ古典的状態の確率混合になっている。

これがデコヒーレンスである。

分岐した世界の間の量子干渉がなくなる、または干渉が観測されなくなるとも表現される。

しかしこれは先の「人間の意識が時々刻々確率的にただ1つの体験を選択経験する」ことを導いたことにはならない。

一つの理由としては、東大の清水明さんもよく強調するように、混合状態の分解の仕方が一般に一意でないことが挙げられる。

例えば電子スピンz成分のアップ状態|+z>とダウン状態|-z>の確率50%での混合状態は

ρ=1/2 |+z><+z| +1/2 |-z><-z|

で与えられる。

しかしこれはx成分やy成分の固有状態でも展開できて、やはりそれぞれの状態に対して50%混合になっている。つまり

ρ=1/2 |+x><+x| +1/2 |-x><-x|

=1/2 |+y><+y| +1/2 |-y><-y|

=1/2 |+z><+z| +1/2 |-z><-z|

が成り立っている。

従ってデコヒーレンスが完全に起きても、どの軸の観測が行われたか全く定まっていない例になっているのだ。

様々な純粋状態の確率混合で生成される量子状態が他の純粋状態の確率混合としても書ける例は無限にある。

また縮退のない混合状態ρをデコヒーレンスの結果として得たとしても、なぜその多数の分解成分に含まれる「ただ1つの経験」が選らばれて時々刻々人間は意識できるのかが説明されていない。 

安定した意識を保持する人間はただ1つの事象をそれぞれの時刻に生々しく体験しており、多くの異なる体験や記憶の確率的分布や重ね合わせを感じない。

コヒーレンス多世界解釈における観測問題の本質的困難を全く解消していないのだ。  

もし仮に世界が決定論的な古典力学だけで記述できていたのなら、確定した初期状態から世界が時間発展をする場合には各時刻でどの部分系も確定的な「ただ1つの」状態にある。

部分系の1つである人間の物理的自由度でも同様だ。

だから意識がただ一つの経験をそれぞれの時刻でしているという事実に、深く悩むことはなかったのだ。

しかし量子力学では状況が全く異なる。

ベルの不等式の破れによって実験的にも局所的な実在論が否定されてしまっているからだ。

例えば電子スピンのベクトル3方向成分の値は各時刻で決して決定論的には定まらない。

量子力学の最も基礎的なレベルでの記述は確率に頼らざるを得ない構造をしている。

このことから、なぜ意識が各時刻でただ1つの体験だけを認知するのかという問題が本質的になるのだ。

もしドイッチュの言うとおりに多世界(パラレルワールド)が本当に「実在」ならば、それは観測されるべきではないのか。

なぜ宇宙の時間発展とともに発生した人間意識が相反する歴史をもつ2つの実在世界や、もっと多数の実在世界を同時に認知できるように適合進化しなかったのか。

それは単にまだ人間の進化の時間が足らないだけなのか。

コヒーレンスでは説明のつかないこれらの問いをドイッチェは答えるべきだが、その合理的な解を彼は与えない。

 

多世界解釈を宣伝して有名にしたホィーラー自身もずっと意識の問題に悩む羽目になった。

図2は彼が晩年書いていた宇宙の概念図である。

f:id:MHotta:20150204074222j:plain

宇宙には外部観測者がいない。

宇宙自身が宇宙(Universe)を観測する。それを象徴しているのが「U」(宇宙)を観測している図の「眼」である。

波動関数が収縮をしないことを保証するユニタリー性(Unitarity)と、宇宙自身が宇宙を観測することがどう整合するのかを結局ホィーラーは明示的に解くことはできなかった。 

しかし波動関数を情報概念と捉える認識論的な現代的コペンハーゲン解釈では、ホィーラーが悩んだこの問題はそもそも存在しないのが大きな特徴だ。

現代的コペンハーゲン解釈は、意識の有無を判定する問題の部分を自家撞着が起こらないように鮮やかに切り分けることにより先のホィーラーのトートロジーを排除した、首尾一貫した理論なのである。

なお量子コンピュータが指数関数的に速いスピードで計算できる例は、現在ごく限られたものしか知られていない。

しかしそれらの速い量子計算の例は全てコペンハーゲン解釈だけで説明できる。

そのため実際には「多世界解釈が正しいから量子コンピュータは速い。」というドイッチュの説明を納得しない研究者が大多数なのである。

 

 

 

タキオン粒子間の重力は引力か、斥力か。

前野さん(@irobutsu)にツイッタータキオンについていろいろ教えてもらっているうちに、意外なことが分かって面白かった。

タキオン光速度より速く運動する粒子であり、因果律を破るため存在しないと考えられている。

しかしSF業界では多大なインスピレーションを与える源泉でもあり、多くの人に愛されている存在でもある。

問題は、2つのタキオンの間に働く重力は引力か、斥力かというところから始まった。

タキオンは超光速で運動するため、慣性質量の2乗が負になると通常言われている。

素朴に考えれば、これは純虚数の慣性質量をもつ存在だ。

これをまた素朴にニュートンの公式F=-G(m^2)/(r^2)に代入すると、タキオン間の重力は斥力になるようにも思える。

ところが前野さんと議論していくと、そう簡単な問題ではないことが分かってきた。

タキオンは静止させることができないため、それを重力源とする静的なブラックホール解は存在しない。

だから従来のようにブラックホールの漸近領域を解析してニュートンの公式を出すことはできないのだ。

それではどのようにタキオン間の重力の符号を定めればいいのだろうか。

前野さんは2本の電流の間に働く磁力と同様の設定で判定できると示唆してくれた。

ただ電流の場合は、それぞれの電線を流れる電流の向きで引力にも斥力にもなる。

果たしてタキオンを流す2本の"電線"の間に働く重力も、流れの向きによって引力と斥力の両方を示すのだろうか。

面白い問題だ。

まず普通の電流と異なる点を押さえておこう。

x軸方向に運動する速度v(>c:光速度)のタキオンを考えよう。

世界線はx=vt,y=z=0となる。

ここでv→+∞の極限を考えると、t=0,y=z=0の世界線になる。

これは流れでいうと、x軸の正の方向に無限大の速さでタキオンが走っているとも言える。

しかしポイントは、t=0,y=z=0の世界線はv→ー∞の極限でも得られることである。

つまりt=0,y=z=0の世界線は、同時にx軸の負の方向に無限大の速さで走っているとも言えることだ。

これは通常の電子の流れである電流と大きく違う点である。

電流ははっきりとした向きが決まっているが、タキオン流には向きが決まっていない。

このことから2本のタキオン流の間に働く重力(また他の任意の力)は、タキオン流の向きに依存していないことが分かる。

左から右に流れる2本のタキオン流に働く力も、片方が左から右、他方が右から左と流れるタキオン流に働く力も、同じになるはずだ。

ではその力は引力だろうか、斥力だろうか。

この問題を解く過程で面白いことも判明した。

タキオンのエネルギーと運動量は、ローレンツベクトルを組まないという事実だ。

通常の粒子のエネルギーと運動量はローレンツ変換(慣性系の変更)のもとで、4元ベクトルとして振る舞う。

しかしタキオンの場合そうではない。

タキオンのエネルギー運動量テンソルは厳密なローレンツ変換に対するテンソルになるにもかかわらず、それを空間体積積分して定義するエネルギーと運動量は厳密な4元ベクトルの変換性を満たさないのだ。

まずこのことから説明しよう。

簡単のために2次元の時空で考えよう。

平坦な時空計量の表記は以下のようにとる。  

f:id:MHotta:20140928094634j:plain通常粒子の復習から入ろう。

重力場中の質点の作用は、固有時間をパラメータにして下記のように与えられる。

f:id:MHotta:20140928094643j:plain

アインシュタイン方程式の右辺に出てくるエネルギー運動量テンソルは一般に作用を計量に関して汎関数微分して下記のように定義される。

f:id:MHotta:20140928094652j:plainだから平坦な時空上でのテンソルは上式のように計算される。

質点のエネルギーと運動量はこの密度を積分して、下記のように与えられる。

f:id:MHotta:20140928094658j:plainするとよく知られているように、エネルギーと運動量の間には上式の関係が成り立つ。

またこの場合、エネルギーは常に正である。

更にエネルギーと運動量が確かにローレンツベクトルを組むことも確かめられる。

さて対応して、タキオンを考えてみよう。

タキオンは速度が光速度より速い運動をするため、作用の被積分関数平方根の中身の符号を反転させておく必要がある。

このままだと作用全体が純虚数になってしまうため、質量mも純虚数にして作用全体は実数にしよう。

質量を純虚数にすることは従来のタキオンの扱いでもよくやられていることで、このおかげで作用は実数値をとれるのだ。

ただ作用全体の符号の取り方には不定性が残るが、μ>0としてとりあえず以下のように定めよう。

f:id:MHotta:20140928094705j:plainここで世界線のアフィンパラメータはλと書いてあり、上の関係を満たすものとする。

この作用から定義される平坦な時空でのタキオンのエネルギー運動量テンソルは下記のように計算される。

f:id:MHotta:20140928094713j:plainここでのポイントは、μを正にとっている限り、タキオンのエネルギー密度は通常粒子のエネルギー密度と同じ符号になるということだ。

だからそれから定義されるエネルギーEも非負の値しかとれない。

また運動量Pも下記のように従来と同様に定義しよう。

f:id:MHotta:20140928094722j:plainするとタキオンで予想されるエネルギーと運動量の上の関係式は確かに満たされている。

しかし問題なのは、もし(E,Pc)が本当にローレンツベクトルならば、それは空間的(spacelike)なベクトルであるためにある慣性系ではE<0となる点だ。

E>0となる慣性系があっても、そこからローレンツ変換をすれば、かならずEが負になる慣性性に移れるのだ。

しかし上の定義でEは負にならない。

タキオンのエネルギー運動量テンソルは確かに厳密にローレンツ変換テンソルとして変換されるにも拘わらず、である。

タキオンの(E,Pc)は厳密なローレンツベクトルではないのだ。

なぜこんなことが起きたのだろうか。

 

最初になぜ通常質点の(E,Pc)がベクトルになれたかを復習しよう。

まずエネルギー運動量テンソルは下記のように局所的に保存する。

f:id:MHotta:20140928094731j:plain実はこの保存則こそが体積積分である(E,Pc)をローレンツベクトルにしているのだ。

これを理解するために、簡単のためベクトル的な保存量Jから説明しよう。

f:id:MHotta:20140928094738j:plain

そしてこの式の両辺を下記の図1の台形で囲まれた時空領域で積分しよう。

t'=0の世界線は、別な慣性系の時間一定面に対応している。

Jは図1の赤い矢印のように静止した粒子の世界線上だけで値をもつとする。

f:id:MHotta:20140928094744j:plainガウス積分公式を使って、この面積分は各辺での線積分の和で書ける。

特にx=-Lとx=Lの積分は零となるため、L=∞として、下記の関係が成り立つことが分かる。

f:id:MHotta:20140928094753j:plainこれはJの第ゼロ成分の体積積分は各慣性系において不変であることを意味している。

つまりこの積分量はローレンツスカラーである。

同様の議論をJではなくエネルギー運動量テンソルに対して行うと、今度は下記のように空間積分量がローレンツベクトルになることが分かる。

f:id:MHotta:20140928094806j:plainここでLはローレンツ変換の行列である。

このため通常粒子では、エネルギーEと運動量Pの(E,Pc)は確かにベクトルになっていることが保証されている。

ではタキオンの場合はどうか。

同様に保存流Jの話を考えよう。

但しタキオンであるため、Jは図2の赤い矢印の上だけで非零とする。

Jの保存則の式の両辺を図2の台形領域で積分をしよう。

x'=0は別な慣性系での位置座標一定の世界線である。

 

f:id:MHotta:20140928133026j:plainすると今度は、t=±Tに対応する線積分が零となる。

代わりに下記の時間積分が残り、T=∞としても、それがローレンツスカラーとなるのだ。

f:id:MHotta:20140928094815j:plain同様のことをエネルギー運動量テンソルに行えば、下記の量が厳密なローレンツベクトルになる。

f:id:MHotta:20140928094823j:plainこのチルダ付きの時間積分量は、エネルギーEと運動量Pとは異なる量であることに注意が必要である。

つまりタキオンの場合、(E,Pc)がベクトルになることは、この保存則からは保証されていないのだ。

そして実際に(E,Pc)はベクトルでない。

具体例でみてみよう。

図3のような世界線のタキオンを考えよう。

f:id:MHotta:20140928094831j:plainローレンツ変換をして慣性系を変えると速度を指定するパラメータσには定数が足される。

この世界線のタキオンのエネルギー運動量テンソルの各成分は具体的に下記のように計算できる。

f:id:MHotta:20140928094840j:plainこれを用いると以下のように、上で定義されたチルダ付き時間積分量は確かにベクトルになっているが(E,Pc)はベクトルにならず、特にEは負になれないことが確認できる。

f:id:MHotta:20140928094849j:plainまた通常物質とタキオンが相互作用をする場合、時間一定面での空間積分で定義される全エネルギーは保存もしない。

 

さてタキオン間の重力の符号の問題に戻ろう。

作用を決めてしまったので、どのような重力がタキオン間に働くかを計算できる。

x軸を速度無限大で走る一様なタキオン流が、垂直方向に距離Lだけ離れて平行に走るテストタキオンにどのような加速度を生むかで、力の向きを定めてみよう。

これから出てくる答えは、タキオン流とテストタキオンの間の重力は「引力」というものだ。(計算間違えがなければ。)

またこのタキオン流と普通のテスト粒子の間の重力も「引力」という結果である。

但し、タキオンの作用においてμを負にとれば、タキオンのエネルギーは正にはなれず、また重力も「斥力」に変わる。タキオン同士でも、タキオンと通常粒子の間でもだ。

従ってタキオン粒子の作用の符号不定性のために、厳密には引力か斥力かは決定できない。

因果律を破るため普通タキオンは実在しないのが当たり前としても、もし仮にタキオンが実在するならば、μが正と負の2種類のタキオンがあるのかもしれない。

その場合、μ>0のタキオンでは重力は引力、μ<0のタキオンでは斥力、というのが今の結果である。

追記:前野さんから「タキオン場の理論を考える時にはタイムライクな超曲面をCauchy Surfaceに選びなさい」というコメントを頂いた。これは世の中がタキオンだけの理論ではそうなのだが、実際には(?)通常物質とタキオンの両方を考えなくてはいけない。そうすると通常物質に対していつも使っているスペースライクな超曲面もタキオン用のタイムライクな超曲面に加えて使用しなくてはならない。しかし全部の通常物質とタキオンの寄与の和を拾える超曲面は、時空全体の境界(つまり時間と空間の無限遠方の境界)しか存在しない。例えば2次元時空ならば、2つの超曲面t=-∞とx=-∞を結合をした超曲面や、t=+∞とx=+∞を結合をした超曲面の類しかなく、有限時刻を表す中間の超曲面がうまく定義できない。(斜め45度の光円錐座標系の1つの座標を一定に保つ超曲面も、それに沿う質量零粒子の寄与があるために厳密にはCauchy Surfaceになっていない。)だからグローバルに”時々刻々”保存する全エネルギーは定義できないのだ。(2014年9月29日)

 

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YQIP2014最終日。

昨日はYQIP2014の最終日。

最初の講演はシュッツホルトさんで、スピンネットワーク系における量子エンタングルメントのモノガミーを平均場近似の誤差評価に使う強力な定理のお話。

f:id:MHotta:20140808045820j:plain

また次の講演は遊佐さんの、量子ホール系を用いた量子エネルギーテレポーテーションの実験提案の話。

f:id:MHotta:20140808050026j:plain

最終日なのに疲れも知らないが如く、多数の参加者の皆さんがこの日も参加されて質問やコメントを沢山出して下さり、大変盛り上がった最後のセッションとなった。

今回本当に多くの参加者の方々に集まって頂き、期間を通じて活発な議論が講演会場、隣接する休憩部屋、そしてポスター発表の部屋等のあちこちで行われていて、新しい研究が生み出されていく予感を強く感じた。

これも講演者の方々はじめ、研究会を支えて下さった多くの皆さんのおかげだと深く感謝している。

来年度はまだ開催予定時期も未定で、かつ予算申請もYITPに採択されるかどうかも分からない状況だが、楽しく生産的な研究会の場を提供できればと願っている。