Quantum Universe

量子情報物理学を中心とした話題で、気が向いたときに更新。X(旧ツイッター)https: //twitter.com/hottaqu note https://note.com/quantumuniverse

ぼくらが旅に出る理由

と言っても、小沢健二の曲のことではない。

科学者達が世界を股にかけて旅をする理由のことだ。

昨今ではネットでつないだテレビ会議もよく行われているが、それでは得られない大切なものがリアルな国際会議にはある。

テレビ会議やメールでは決まった相手としか議論はできないし、自分達の研究も知らせることはできない。

国際会議に行くといろいろな分野の研究者が世界中から来ており、多くの刺激が待っている。講演はもちろん新しい知見に触れられるものとなる。

しかしその合間のコーヒーブレイクやランチ、ディナーでも知らない人に自己紹介をしつつ相手の研究内容を聞いたり、こちらの研究を教えたりできるのだ。

偶然隣に座った人が自分の研究にとても関係のあるお仕事をされていることを知って驚く。

様々なセレンディピィティの確率も高まる場でもある。

conference tourとかexcursionとか呼ばれる開催地の観光が企画されている場合には、皆で出かける。

そのバスの中や目的地でも研究の内容をわいわいと議論しているのが科学者という生き物だ。

相手の顔を見ながら、彼らのアカデミックな背景や人柄まで感じつつ、多いに議論を楽しんで国際的なネットワークを広げていくのである。

ネットの世界だけでは決して得ることできない貴重な経験ができる。

 

今自分は、イスラエル量子論の基礎的諸問題に関する国際会議からの帰途のパリの空港でこれを書いている。

今回の旅も実り大きなものだった。

会議の前にはテルアビブ大学を訪問してセミナーをさせてもらい、レフ・バイドマンさんを始め多くの人達と知り合うことができた。

また長年持っていた弱値に関する多くの疑念を弱値提唱者の一人であるバイドマンさんにぶつけることもできたし、途中でもう一人の弱値の提唱者であるアハロノフさんにも偶然会って話すこともできた。(彼はAB効果の発見でも有名である。)

また参加したCOST2014という会議では多くの友人に再会して議論ができたし、ブラックホールエントロピーでも有名なベッケンシュタインさんを含む、新しい知り合いも増えた。(アハロノフさんもベッケンシュタインさんもご高齢に関わらず、現役でアクティブな研究活動を続けているのには舌を巻く。)

 

この会議でもエルサレムへのconference tourが入っていた。

物理学者の多くの仲間達と"巡礼"の旅をするとはちょっと前まで思いもしなかった。

ツアーのあった日は午後丸々これに当てられ、案の定移動中は皆わいわいと様々なことを大声で話していた。

そんなことを予想していた開催者側は賢明にも、沈黙を要求される信仰の場の多くは見学からはずしていた。

ただユダヤ教徒の聖地である嘆きの壁だけは近くまで行けた。そこは多くのユダヤ教徒と観光客で賑わっていたが、さすがに騒ぐ物理学者は1人もいなかった。

中には多くの信仰者の振る舞いを真似て頭を壁につけてしばらく瞑想してみる人もいた。(彼は中国系アメリカ人で、明らかにユダヤ教徒ではない。)

物理学者は基本的には好奇心の強い「素直な」人種なのである。

磔刑後にイエスキリストの遺骸が納められたという洞窟跡地に建つ教会にも行った。

そこでは一人の物理学者がイエスの巨大な絵画に感動をして思わず"オー、ジーザス!"と叫んだ後、こちらを向いて"だって本当にジーザスだものね"と茶目っ気を交えて微笑んだりもした。

ツアー中は代わる代わる話し相手を変えながら物理の議論も堪能しながら、ユダヤ教キリスト教イスラム教の多くの歴史に触れることができたことは大変興味深かった。

国際会議出席の予期せぬボーナス部分であった。

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不思議の国のアリスがみた量子猫?

3月にあった研究会QMKEK(http://www-conf.kek.jp/QMKEK/)で弱値の講演をされたホフマンさん、細谷さん、筒井さんへ私がさせて頂いた質問の中に、量子チェシャ猫の話がある。

(註:弱値については

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/11/152110

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/20/233839

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/22/123604

を参考にして欲しい。)

チェシャ猫(Cheshire cat)とは、ルイス・キャロルが書いた「不思議の国のアリス」に出てくる変な猫のことだ。

薄ら笑いをする変な猫だが、もっと変なことに、その猫はしっぽから見えなくなり、最後に薄ら笑いだけ残して完全に消え去るのだ。

昨年アハロノフさん達が、この"猫"と同じ現象を量子力学で実現できるという論文[1]を書いた。

彼らは猫の代わりに、1つの光子を考える。

光子は右巻きだったり、左巻きだったりする、偏極というスピン自由度を持っている。

空間的に局在した光子本体がチェシャ猫の体とすると、偏極はその薄ら笑いだ。

ビームスプリッターと「弱測定」を使うことで、光子の本体(空間的自由度)部分と偏極の自由度部分とを、空間的に分離できるというのだ。

この性質は素粒子の質量や電荷も猫の薄ら笑いとして本体から分離できる可能性を示しており、多くの応用が期待できる「弱値」の面白い現象だとアハロノフさん達は主張している。

 果たして本当に、"量子力学"という名の不思議の国にはチェシャ猫が住んでいるのだろうか?

彼らの言い分は、こうだ。

まず入射光子をビームスプリッターに通して、その右側の経路にいく成分と左側に行く成分の2つに分けることにする。

右側に光子がいる状態を|R〉としよう。

同様に左側にいる状態を|L〉としよう。

また|+〉と|-〉とを、z軸スピンσ_zのアップ状態とダウン状態とする。

彼らはまずビームスプリッターを使って

|Ψ〉=(1/2)(i|L〉+|R〉)⊗(|+〉+|-〉)

という初期状態の光子を用意せよと命じる。

弱測定の文脈では、|Ψ〉は事前選択状態となる。

光子の行先は右側経路と左側経路に分かれるが、

先にある鏡と別なビームスプリッターによりこの2つの経路は交差する。

そこでは

〈Φ|=(1/2)〈L|⊗(〈+|+〈-|)+(i/2)〈R|⊗(〈+|-〈-|)

という状態に光子があるかどうかの理想測定が行われる。

そして〈Φ|が実現したデータだけを使う。

この〈Φ|が弱測定の文脈での事後選択状態だ。

この設定では、始状態|Ψ〉から終状態〈Φ|となるまでの中間の時刻に光子のボディは左側の経路、光子の偏極は右側の経路を辿ると彼らは主張する。

これが本当ならば、右側経路にまさに「チェシャ猫の薄ら笑い」だけが残ることになる。

物理量Aの弱値を 〈A〉_w=〈Φ|A|Ψ〉/〈Φ|Ψ〉と書くと、右側の経路に光子がいる状態への射影演算子P(R)=|R〉〈R|の弱値は〈P(R)〉_w=0となる。

これを彼らは以下のように解釈する。

終状態が〈Φ|となるデータだけを集めると、そのデータを示した光子はどれも伝搬の途中で右側経路を決して通らなかったと考えるのだ。

左側経路にいる状態への射影演算子P(L)=|L〉〈L|の弱値も〈P(L)〉_w=1となるため、光子は左側経路だけを通ったのだ、と彼らは言う。

一方、偏極はどうだろう?

光子が右側経路にいる時のz軸スピンを意味する物理量はσ(R)=|R〉〈R|⊗σ_zで与えられる。

光子のボディは右側経路にいないと判断したにも関わらず、この弱値が〈σ(R)〉_w=1 となるために偏極は右側経路に実際に「残った。」と彼らは言うのだ。

左側経路のz軸スピンσ(L)=|L〉〈L|⊗σ_zの弱値も〈σ(L)〉_w=0となって消えているため、左側経路にも光子のボディ「だけ」しかない、と彼らは解釈している。

 アハロノフさん達のこの不思議な物語は、本当に正しいのだろうか?

量子力学の世界では、このように物理的本体とそれが持つ物理的性質を空間的に分離できるのだろうか?

残念ながら、答えはNOだ。

まず〈P(R)〉_w=0を「右側経路に光子はいない。」と解釈したり、〈P(L)〉_w=1を「左側経路を必ず光子は通過した。」と解釈することの根拠がない。

一般の事前選択状態と事後選択状態を考えると、〈P(R)〉_wと〈P(L)〉_wは任意の複素数値をとれる。

このような場合に、0と1の値が特殊な意味を持つと主張するにはなんらかの説明が必要だが、彼らはそれを示していない。

またもっと直接的な論理の破たんが彼らの物語にはある。

まず偏極の自由度が本当に左側経路の光子本体からはずれて右側経路にだけいるのなら、すべてのスピン成分も左側にいないはずだ。

しかし計算してみると左側経路に光子がいる場合のx軸スピンの弱値は1となることが分かる。

従って、左側経路においてスピンをy軸回転させる操作を行えば、またz軸成分が左側にも現れる。

彼らの話の中でも、スピンが光子本体からはずれたと解釈するのは無理があるのだ。

さらに一般に左側経路のスピン自由度が無視できないことを理解できる簡単な説明がある。

もし本当に左側経路にスピン自由度が存在しなければ、f(0,0,0)=0を満たす関数を用いて定義される物理量f(|L〉〈L|⊗σ_x, |L〉〈L|⊗σ_y, |L〉〈L|⊗σ_z)に対する弱値もゼロであるべきだ。

ここで|L〉〈L|⊗σ_x、 |L〉〈L|⊗σ_y、|L〉〈L|⊗σ_zは、左側経路におけるスピン3成分の演算子である。

しかしこれには簡単な反例がある。

つまりP(L)=|L〉〈L|の弱値がゼロではないという事実だ。

これは|L〉〈L|⊗I=(|L〉〈L|⊗σ_x)^2+(|L〉〈L|⊗σ_y)^2+(|L〉〈L|⊗σ_z)^2の弱値がゼロではないことを意味している。

この反例は、スピンの大きさの2乗が任意の量子状態に対して同じ非ゼロ値をとるという単純な理由に起因している。

光子の偏極の自由度は、左側経路でも決して光子本体からはずれることはないのだ。

また上の反例は光子以外の素粒子のスピンでも同様に成り立つので、弱値の意味ですら一般的に粒子の本体からスピンがはずれないと言える。

当たり前のことが、当たり前として出てくる。

 QMKEKで私が質問をしたホフマンさん、細谷さん、筒井さんは皆さん口を揃えて、この量子光学系の実験結果を量子チェシャ猫と解釈してはいけないと答えてくれた。

細谷さん曰く、「私はネコ好きだが、量子チェシャ猫は嫌いです。」

先日アハロノフさんの長年の共同研究者でもあるバイドマンさんにも同じ質問をぶつけたが、彼もそんな変な猫の解釈にはならないと答えてくれた。

(アハロノフさんは彼の最近の研究を紹介してくれたらすぐに用事でいなくなってしまったので、チェシャ猫については質問できなかった。)

弱値を物理的実在と解釈することが本当に将来役立つことがあるのかという疑問を、自分は今も持ったままである。

追記(2014年3月28日):  アハロノフさんは結局COST2014では会えなかった。彼の量子チェシャ猫の話において、光子の本体部分を左側経路L、その偏極スピンを右側経路Rというように、2つを空間的に分離できると彼は主張した。そして空間的に分離していることで光子本体側を乱す事なく偏極側だけを操作できる保証を与えるような、新しい量子的技術が期待できるかもという趣旨が論文に書いてある。が、これは期待薄だと思う。もし本当にスピンだけがRにあるのなら、そのスピンをRだけで回転させる操作をしても光子の本体はLにだけ留まるはずだし、それが彼が期待している効果のはずだ。しかし現実にはそうはいかない。例えばU_R=exp(iθP_R⊗σ_z)というユニタリー変換は明らかにRのスピンだけを回し、Lのスピンは回さない効果を与える。θはその回転角である。しかし事前選択状態|Ψ〉にそれを作用させると|Ψ′〉=U_R|Ψ〉という状態になる。そしてこの操作の後、弱測定で再度Rには光子本体はいないことを確認しよう。すると〈P_R〉_{W}′=〈Φ|P_R|Ψ′〉/〈Φ|Ψ′〉という弱値が観測できる。(弱値は実部だけでなく、運動量表示で弱測定をするとその虚部も測れる。)しかし〈P_R〉_W=0だったのに対して〈P_R〉_{W}′はゼロでなくなり、複素数値をとるようになるのだ。従って、右側経路Rでのスピン操作は、同時に光子本体をRにも出現させるのだ。例えθを十分小さくしてU_Rを弱測定と同様の「弱操作」にしても、〈P_R〉_{W}′はθの1次に比例した値となり、消えない。このように「空間的に離れている。」という局所性に関する弱値の解釈は意味がないことが分かる。アハロノフさんが予想している量子チェシャ猫のメリットは実現しそうにない。

 Reference:

[1] Yakir Aharonov, Daniel Rohrlich, Sandu Popescu, Paul Skrzypczyk, http://arxiv.org/abs/1202.0631 .

 

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弱測定(weak measurement)に関する最近の論争

弱値研究で主導的役割を演じてきた、バイドマンさんと話す機会に恵まれた。

彼がアハロノフさんと一緒に提案した「弱測定」の有用性に関して、量子情報理論から疑問視する論文[1]がPhysical Review Lettersに出ており、それに反論[2]をバイドマンさんが書いた直後であった。

彼との会話でも、これが話題にあがった。

この論争の出発点の部分は、自分も弱測定の話を聞いた当初から思っていたことでもあるので、今回はこのことを書いてみよう。

まず弱測定を説明しておこう。

これはアハロノフさんに言わせると、量子系Sの状態準備とその後の理想測定との中間時刻にSがとっている"実在量"、「弱値(weak value)」を測る測定である。

一般に複素数である弱値については、下記のブログも参考にしてほしい。

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/11/152110

http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/20/233839

 状態|Ψ〉に用意された注目系Sに対してある観測量Bの理想測定を行おう。

簡単のために縮退がないと仮定してBの固有値をb(n)と書き、このn番目の固有値に対する固有状態を〈Φ(n)|とする。

ここで〈Φ(n)|は敢えてケット表示ではなく、ブラ表示にしてある。

〈Φ(n)|B=〈Φ(n)|b(n)という関係が成り立っているという意味だ。

Bの理想測定は単にSの終状態〈Φ(n)|の指定のために行う。

弱測定の本当の興味は、Bがb(n)の値を持つことが確認できた場合に、そのBの測定をする前には他の物理量Aがどのような"値"を持っていたかにある。

特にAとBが非可換な物理量演算子の場合が重要だ。

そのためBの理想測定をする測定器以外に、Aを測るもう1つの測定器が必要だ。

それをここではDと呼ぼう。

Sに対してBの理想測定をする前に、非常に小さな結合係数gをもつ相互作用をSとDの間でさせておく。

その相互作用の形は、いわゆるフォンノイマンポインター基底相互作用V=gA⊗pである。

ここでAは値を知りたいSの物理量、pは測定器系Dが持つメーターの針の位置xに共役な運動量演算子である。

この相互作用は有限の時間だけ存在し、Bの理想測定をする前には切れている。

ここでDのメーターの針の初期状態を|0〉と書こう。

gが非常に小さいから、Sのもとの状態|Ψ〉はこの相互作用の後でも大きく乱されることはない。

だからSはほとんど|Ψ〉の状態のままBの理想測定が行われるわけだ。

そこで特定のn番目のBの固有値b(n)が観測される時のDのメーターを調べよう。

gはゼロではないので、|Ψ〉に関する非常に少量の情報がDに書き込まれている。

それはDのメーターの位置xの期待値を、初期値〈0|x|0〉から少しだけずらす。

もし針の位置xが特定の値を中心にシャープな分布(〈0|Δx^2|0〉∼0)をしている|0〉ならば、このxの平均値のずれは少ない試行回数だけで読み取れる。

そしてSの状態の事後選択をしなければ、Dの測定そのものがAの理想測定に近いものとなり、DのメーターからAの固有値が読み取れるだけになる。

特に新しいことはない。

そこで弱測定では、|0〉を位置xの分散が非常に大きな状態(〈0|Δx^2|0〉∼∞)に設定する。

するとxの期待値のずれは多数回の実験を行って平均をとらないと見えてこない。

しかし労力を惜しまずにそのメーターのずれを測定してやるとBの結果の事後選択のために、そのずれはAの固有値ではなく、Aの弱値〈A(Φ(n),Ψ)〉_w=〈Φ(n)|A|Ψ〉/〈Φ(n)|Ψ〉の実部(real part)に比例することが分かるのだ。

この弱値はSが実際にとっていたAの値だとアハロノフさんは主張するわけだ。

この解釈は量子力学の哲学論争はもとより様々な議論を招くわけだが、今回紹介する論争は、もっと地に足をつけた現実的な部分に関係している。

それは「弱測定はどのくらい意味のあるものなのか?そして便利なものなのか?」という問いである。

よく主張される、「弱測定は弱値を実際に測れるから意味がある。そして弱値は弱測定で実際に測れるから意味がある。」という類のトートロジーとも関係しない。

例えば|Ψ〉に含まれている微小な未知パラメータyの値を推定したいために、実験家は実験を行うとする。

以下では状態にyの依存性を明記して|Ψ(y)〉と書こう。

弱測定で弱値の実部Re〈A(Φ(n),Ψ(y))〉_wを測って、その結果からyの大きさを推定をするのが賢いのかどうかが問題となる。

Re〈A(Φ(n),Ψ(y))〉_wを知るには、膨大なデータサンプリングが必要だ。

それは、Bの測定で〈Φ(n)|以外の結果のデータを捨てる事後選択(post selection)を行うためである。

また特定のn以外の弱値も測ってyの推定に活かすにしても、メーターの針が統計的にぼやけているために結局もの凄い回数の実験を繰り返す必要がある。

 そこでyの推定には弱測定に比べてデータサンプリングを活かしたもっと効率のいい測定があるのではないか、と思うわけだ。

実際このような優れた測定の存在は量子情報理論的に示すことができる。

どのような測定および推定方法がyの値をもっとも効率よく言い当てるかまで理論的には分かるのだ。

問題は、その答えがいかなる弱測定でもないことだ。

むしろそれは特定の観測量の理想測定で達成される。

弱測定とは真逆の、もっとも強い測定だ。

この論法自体に穴はない。

この結果が弱測定の価値に大きな疑念を与えるのも、理論家からみればとても自然なことなのだ。

が、多くの実験家は弱測定の登場を歓迎している。

実際多くの実験が行われ、弱測定の優れた面を強調している。

研究室がもっている機械には一定の性能の上限があり、原理的にもっとも理想的な測定器を作ることはできないのが普通である。

現実の厳しい制限の中で、実験家は微小な量の推定を最大限行いたいわけだ。

一般にAの固有値の最大値と最小値の差が小さいと、Aの理想測定ではyの依存性を読み取ることは難しい。

しかし弱値では分母の〈Φ(n)|Ψ(y)〉がゼロに近ければ、固有値より大きな実部をもつことが可能だ。

それを測れば、通常の使用方法での機械の性能を超えた結果を得ることができる。

これを弱測定の増幅効果(amplification effect)と呼ぶ。

結局実験家の本音は、自分達が持っている測定器の系統的誤差(systematic error)の壁を越えて面白いデータを先取りできるか、ということなのだ。

それはそれで結構なことだ。

バイドマンさんの反論[2]も、この価値観を主眼にして行っている。

一方、多くの理論家は深い原理的価値を論じたいものだ。

時間とともに技術は進み、機械の性能が上がっていく。

特定のパラメータyの測定は、最初に弱測定で得られたラフな推定値を超えて精密化されていくだろう。

その場合、もっとも効率のいい測定と原理的推定誤差の限界に理論家は興味を持つわけだ。

これはこれで重要である。

量子パラメータ推定の観点から言うと、弱測定は膨大な統計(実験の試行回数)を必要とする、大変効率の悪い一般測定の1つに過ぎないのだ。

[1]の著者らは、速攻で[2]のバイドマンさんの言い分(と本質的ではない他の人からの言い分)に対して反論[3]を書いている。

相手の価値観の正しい理解にお互いが達するまで、彼らの論争は終わらないのかもしれない。

なおこの辺りの事情を理解するのに役立ち、そして数学的に厳密な結果が示されている研究としては、李-筒井の論文[4]がある。

どのような実験の場合に弱測定が有利なのかを一般的に論じている。

(もちろん、答えはケースバイケースだ。)

[4]は弱測定理論研究の1つの頂点を達成して、研究に1つの区切りを与えるものであろう。

Reference:

[1] C. Ferrie and J. Combes, Phys. Rev. Lett. 112, 040406 (2014).

[2] L. Vaidman, http://arxiv.org/abs/1402.0199.

[3] C. Ferrie and J. Combes, http://arxiv.org/abs/1402.2954.

[4] J. Lee and I. Tsutsui, http://arxiv.org/abs/1305.2721.

 

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量子論の弱値(weak value)のパイオニア達との邂逅

今日はテルアビブ大学で、相対論的場の理論における量子エネルギーテレポーテーション(QET)のセミナーをさせて頂いた。

呼んでくれた友人のベニが昨夜体調を悪くして今日は欠席というハプニングもあったが、聴衆の皆さんの反応はとても好意的で、QETの詳細もよく理解してもらえたと思う。

その聴衆の中にアハロノフさんとともに量子論における弱測定(weak measurement)と弱値(weak value)の概念を提案して発展させてきたバイドマンさんがいて、彼も熱心に話を聞いてくれていた。

セミナー後彼の部屋で、自分が長年持っていた弱値のたくさんの疑問をぶつけることができた。

そして彼とアハロノフさんの弱値の捉え方には随分と違いがあると強調された。

前ふりとしてバイドマンさん自身はバリバリの多世界解釈派であるが、アハロノフさんは彼ほどの多世界解釈の支持者ではないとのこと。

そしてバイドマンさんにとって量子論の実在は波動関数(量子状態)だけであって、弱値は波動関数のpropertyにすぎないと言われた。

一方アハロノフさんは弱値もある種の実在とするので、たくさんの共著がある二人の間でも弱値の解釈は違っている部分があるとのこと。

そして弱値を物理的実在と捉える場合の問題点を挙げた。

それが自分が考えていた問題点(http://mhotta.hatenablog.com/entry/2014/03/11/152110)と全く同じだったことには驚きを感じた。

弱値が「弱値らしさ」をもっとも発揮するはずの無限大周辺の値は、事前選択状態と事後選択状態の摂動に関して不安定であり、それを実在と思うのは問題であるというのが彼の(そして自分の)意見である。

なお議論の後で、自分が認識論的な現代的コペンハーゲン解釈やQビズムの支持者であることに変わりないとも伝えた。

しかし時間をかけて彼と実際に話をしたことで彼の考えをより理解できたことは自分にとっては大きな収穫であり、時間を割いてくれた彼に丁寧に感謝の意を表した。

自分の質問に関する議論が一通り済んで、一緒に話を聞いていた彼の若い共同研究者と二人で最近の仕事を説明しだしてくれた頃、唐突にアハロノフさんが部屋に現れた。

彼はアメリカに住んでいるのだが、今回はイスラエルの他の大学でのセミナーのために来ていたらしい。

彼とは初めて会ったのだが、ご高齢にも関わらずエネルギッシュな人であった。

彼が今やっている仕事も情熱を込めて説明してくれた。

(ただせっかくのご好意だったのに、その未発表の結果に対する彼の興奮が自分にも伝搬するには時間が足りなかったようだ。)

自分も招かれている来週の国際会議にバイドマンさんとアハロノフさんも出席するかもと言っていたので、また質問をする機会があるかもしれない。

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原始重力波観測で「私たちはホーキング輻射を見ている」と確実に言えるのか。

BICEP2でのBモード観測会見で出た「私たちはホーキング輻射を見ている。」という発言に関しての前回のブログの補足。

インフレーション宇宙を記述するドジッター(de Sitter)時空には宇宙的地平面(cosmological horizon)があるために、宇宙の中を自由運動をする観測者はその地平面から放たれている熱的輻射の揺らぎを見ているという解釈がある。

そしてその痕跡を現在我々はBICEPのデータで見ているという、カミオンコフスキーさんの発言のことだ。

その温度Tは宇宙の膨張加速度であるハッブル定数H(これはドジッター時空ではあらゆる時空点で一定)に比例し、T=H/(2π)で与えられる。

ホーキングらが提案したこの説明は、ブラックホールの地平面とホーキング輻射とに対応させて分かりやすいため、広く知られている。

では、今回の観測結果が他の観測グループによって追認された場合、ホーキングもノーベル賞候補になれるのだろうか?

実はこのホーキング輻射での説明には、批判がなされている。

時空の急膨張でも決して薄まらない原始的重力波やインフラトンの量子的揺らぎがホーキング輻射の熱揺らぎであるとの主張の不自然さは以下の点にもある。

まずふつうの熱平衡にある気体の振る舞いはそれを見る座標系によって変化するはずである。

実際、気体全体の重心運動に対して静止している系と、それに対して動いている系とでは差がある。

しかしドジッター空間の中の"ホーキング輻射"の場合、異なるスピードで自由運動をしている観測者もまったく同じ熱的状態を観測してしまうのだ。

これはドジッター時空がもつ高い対称性に原因がある。

時間1次元、空間3次元からなる4次元ドジッター空間は、5次元の平坦な時空に埋め込められ、そしてそこでの高次元のローレンツ対称性を持っているからだ。

(註:詳しく書くと、ds^2=-dT^2+dX^2+dY^2+dZ^2+dW^2という計量を持つ5次元ミンコフスキー時空に埋め込まれた、-T^2+X^2+Y^2+Z^2+W^2=(1/H)^2という曲面が4次元ドジッター時空である。従って明らかに5次元でのローレンツ変換に対して4次元ドジッター時空は不変。そしてドジッター時空での量子場の"真空状態"も5次元ローレンツ不変性をもつため、場の量子揺らぎは自由運動をする観測者のスピードに依存しなくなる。)

観測者のスピードに依らないのは物理的におかしいのではないかという疑問が昔から論じられてきたわけだ。

ブラックホールの場合には、このようなおかしなことは起きない。

ブラックホールは空間的に広がっている無限遠方の漸近的平坦領域でホーキング輻射が実際に観測できるためである。

しかしドジッター時空では半径が1/Hの球面内の閉じた空間内で「熱揺らぎ的なもの」が観測できるだけなので、いろいろ気持ち悪い部分が残るのだ。

実際のインフレーション宇宙は永久にドジッター時空で記述されるわけではなく、急膨張の始まりと終わりの時刻がある。

つまり5次元ローレンツ対称性は一部破れている。

だからどの自由運動している観測者でも同じに見えるという不自然なホーキング輻射の主張を信じなくてもいい。

このローレンツ対称性の破れこそが、"正しい解釈"を与える座標系を特定するわけだ。

その座標系では単に、指数的急膨張の始まりと終わりという物理的時間変化が重力波やインフラトンの量子揺らぎにエネルギーを与えて、それらを「実体化」する。

宇宙背景輻射の揺らぎの説明も、ホーキング輻射という単語を用いることなく、できる。

今回のBモード観測発表も、宇宙背景輻射の揺らぎの起源がインフレーション宇宙における「ホーキング輻射」とする説明に対して疑問視をしてきた研究者の考えを変えることはないだろう。

この点を補足しておく。

今回の観測結果が他の観測グループによって今後確認された場合でも、ホーキングが「ホーキング輻射」に関する貢献でノーベル賞候補に加わるのは難しいかもしれない。

 

追記(2014年3月25日):

T_NAKAさんのブログの「インフレーションと原始重力波の最初の直接的な証拠(2)」(http://teenaka.at.webry.info/201403/article_24.html)という記事で、私のここでのコメントを取り上げて下さっているので、補足をしておこう。この中で指摘されているように、ドジッター時空でのホーキング輻射は、むしろウンルー効果と呼ぶべき現象だ。例えば簡単のため3次元ミンコフスキー時空に埋め込まれた2次元ドジッター時空を考えよう。その曲面は-T^2+X^2+Y^2=(1/H)^2という方程式で記述される。そしてその曲面上の計量はds^2=-dT^2+dX^2+dY^2で与えられる。ドジッター時空内の観測者の慣性運動として例えば(T(τ),X(τ),Y(τ))=(sinh(Hτ)/H, cosh(Hτ)/H,0)を考えると、平坦な3次元時空を確かに一様加速度していることが分かるだろう。(ここでτは観測者の固有時間。)

ブログでは「ともあれ、この「場の量子揺らぎは自由運動をする観測者のスピードに依存しなくなる」というのがイケないようなのです。ブラックホールのホーキング輻射も一様加速する観測者のアンルー効果も、これらが生じない観測系があるのですが、「ドジッター宇宙ではそういう観測系がないということになるので、何か変、、」ということらしいですね。」とコメントを頂いている。私が意図していたのは以下のことである。重力が働いて宇宙の構造形成を起こす揺らぎのタネは、質量やエネルギーを持っている必要がある。しかしウンルー効果での熱揺らぎはこれを持たない。この意味でウンルー効果の熱揺らぎはまだ実体化していないのだ。同様にドジッター時空中のホーキング輻射もエネルギーを持たない。もし持っていたら異なるスピードの観測者は別なエネルギー密度分布をみるはずだが、このホーキング輻射は観測者のスピードに依らないのである。つまりこのホーキング輻射は、重力が働いて構造形成を行う能力をまだ持っていない「実体」のないものなのである。実際にはインフレーションが終わる時刻に、場の量子揺らぎにエネルギーが注入されて、本当の揺らぎが現れてくるという話なのだ。

 

 

 

 

 

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